ダサい
1ji.iconが主語になった場合はこの言葉を意味通りの状況で使用することはないと思われる
すべては目的と成立の下で行われていることであると思うので
自分がこの言葉を好く、好かない以前に非難あるいは指向する際にこれを用いることができないというのがそう
それを踏まえて下記のメモを、一つの探索として行う
https://pbs.twimg.com/media/GjYk4WOWIAAFzaw.jpg
Wordのプリセットや創英角ポップ体が「ダサい」に落とし込められてから本当に久しいというのに、一向にそこを更新しようとしないことには悔しさを感じる
正直、要素が多いという時点でネタにできないダサさを免れようとしている姿勢がちょっと違う
そもそも、ネタにできないダサさってなんだよ?
これはもう評価軸の一個でしかなく、「ダサさが上手い」みたいな意図でこの形容が使われるのなら、それではもっとWindows標準、みたいな感覚から広げて見るべきではないか?
AE標準のグローやレンズフレアなども話題にあがりやすいか
服装や髪型などの容姿に対する「ダサい」はいまだに悪い評価のままであることに対して、これらのWindows標準みたいなのはもはやワードアートとしての位置を設置しているのが非常に不服だ。
https://scrapbox.io/files/69dc46f63caed06dfe7c5762.png
これももうダサいとかじゃないだろ
そういうファッションになった時点でダサいとかじゃないんだよ
野暮ったさ、垢ぬけなさ、あたりがダサいの尺度か?
野暮ったさって、それを野暮ったいだの言った時点でスタイルになってないか?と思う
また「ダサい」の目線というのは、男性が語るにしても「女性から男性に向けられる」際のダサさであることが多いと思う
ダサさを狙った際にあたる範囲はまだ
女性の視点と称して男性の垢ぬけなさ、野暮ったさを指摘する際の語彙
各アプリケーションの標準機能をそのまま使用する感じ
この2パターンくらいしか回収されておらず、それも腹が立つ
評価軸としての「ダサい」を置くのだったらもっと広範に目を向けて回収するべきで、上記のような、意図的に要素を多くしようとして構成されたワードアート的なものを指針とするのだったらいい加減「ダサい」とかの言葉に落とし込むのをやめないか?という話
今、「ダサい」のほかに「シャバい」があると思っている
意味は違うと思うが、距離を置きたい用途で使用されるのは「シャバい」の方じゃないか?
シャバくて好き、みたいなことも聞くので形容として上下の評価を伴わないかもしれないが
適当、とも違うのが厳しい
情報量の少なさというのは、また一方でダサさとは違う気がする
ダサさ、というのは成立できない中途半端な状態を指して、本来改善を求めるための言葉だったのではないか?という混乱がある
このあたりの方向性におおむね同意で、正直なところ何か視覚的な構想を触れたことのある人間がワードアートなどの構成要素をダサさの指針だとしてそれを用いるのは、もう2026年になった今となってはやめていいんじゃないかということ
やめた方がいいとまではいわないのだが、ダサさをちゃんと扱うならその範囲を広くしようよってことだ
「このダサさが好き」みたいなことを言うんだったら、一面的なジャンルでなく、初歩的なPCの経験則によるビジュアルにとどめず、風景、生活、人格にまつわるようなところまで含めていとおしく扱って欲しい