★殺陣:忍者刀は実在したか?
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忍者が使う刀(忍者刀:にんじゃとう/忍刀:しのびがたな)は特殊だと言われます.
反りがない直刀(切るより突くに特化)
鍔が四角く大きい(足場として使うため)
鞘の鐺が尖っていて地面に刺せる
などの特徴があり,武士ではない忍者が特殊な使い方をする様に考えられています.
しかしこの形状が忍刀だと一般に認識されているのは,昭和以降の時代劇映画で使われているからです.
いくつかの理由で,私は実際には使われていなかったと言われています.私もそう思います.
a. 現存する忍者刀は明治以降,観光用に創作されたものがほとんど
b. 一般人にまぎれて忍ぶ存在の忍者がそんな目立つ刀をもてば,すぐバレる
c. 忍者が戦闘員として活躍するのは室町時代後期(つまり戦国).戦闘が度重なる当時は刀は半消耗品なので,そんな特殊な刀を大量に作っていたとは考えにくい
d. (傍証)忍びそのものの存在は古文書の端々に残されています.また有名な忍びの里である伊賀や甲賀には様々な忍び道具の文献が残されているのも事実です.しかし,それらの多くの道具は実用上無用なものが多いようです.忍びの里というのは平たく言えば自衛力をもつ農村です.ですから実際の戦闘に使われたとすれば,すぐ身近な農機具(鍬,鎌等)を工夫した実用本位のものだったと思われ,刀についても同様に推測できます.
e. (傍証)そもそも忍びの仕事の大半は情報戦です.敵地に赴いて情報を仕入れたり攪乱情報を流布するような仕事ですから,忍びのほとんどは戦闘に直面することはなかったと思われます.
f. 忍者は万一の戦いにおいても,森林に忍んで待ち伏せするなどのゲリラ戦を得意としますから,狭い場所や白兵戦に対応するような短めの打刀または長脇差を使用していたのだろうと想像します.
g. 直刀の機能は「切る」のではなく「突く」ことが主眼です.人間の体という「骨付き肉」を滑らかにスパッと切るには,刃が弧を描いている必要があります.忍びの本領は接近戦やゲリラ戦ですから,一つの刀でいろいろな使い方を必要とするでしょう.「突く」だけしかできない直刀は使いづらいと考えられます.
★ちなみに★……大刀程度の長さの直刀を腰に差すと,非常に抜刀・納刀がやりづらいです.打刀は反りがあるから抜きやすいのです.
◆反論:直刀が存在したとする理由は◆
唯一,直刀の忍者刀不在説に反論できるとすれば,作刀技術の点だと思われます.
そもそも直刀は歴史が古いです.奈良時代以前に大陸から渡ってきたのは両刃の直刀でした.
鍛造技術は日本に輸入され改良されていく(日本人の得意技)中で,日本独自の戦闘に向くように,反りのある刀が生み出されてきました.
単純に言うと,反りのある刀は作るのが難しい.直刀は比較的簡単ということです.
鞘も直刀の方が作りやすい.
農村でも農機具を作る鍛冶屋は存在したでしょう.直刀ならば,そういう鍛冶屋の技術で,比較的容易に数多く作ることができたと考えられます.
ただし,長い刀は貴重な玉鋼を多く使いますから,裕福なはずがない農村で大きな刀をバンバン作ることは難しかったと考えられます.つまり,「短めの直刀」.これが「苦無」などの忍び道具の延長として存在したと,考えられなくはないでしょう.
その他,「忍びは戦に加わることあまりなかった」ということへの反論としては,天下統一が行き届かない時代の農村は野武士の襲撃に備えたりする必要があり,かなり戦闘的だったということは言えると思います.
たとえば室町後期の伊賀国は惣国一揆という軍事自治組織でした.非常に強力な(忍びの)武力で近隣の国が攻め込んでくるのを防いでいました.ですが強力な国主がいないために内紛が絶えず,そのために村人は普段から武装せざるをえなかったそうです.時代背景を鑑みれば、伊賀のみならず日本の農村はそういう空気だったのかもしれません.
一方で,正式にある国に雇われた忍びはいわゆる「間者」「諜報部員」としての能力を発揮していきます.そういう忍びは必然的に大規模な戦闘に加わることはなかったでしょう.むしろそうなる前に逃げて生き延びて,情報を雇い主に伝えるのが忍びの本分だと言うわけです.
まあ,舞台やコスプレでは「わかりやすさ」から直刀が選ばれるでしょうね(^^).それが一番強い理由かも.
以上.
2023/1/17追記