ハンス・ライター
登場:アルチンボルディの部
母親は片目が見えず、父親は戦争で片足を失った。ロッテという妹がいる。
1920年ドイツのバルト海沿岸の村生まれ。身長一メートル九十センチの金髪の大男。
森よりも海の底が好きな子供だった。四歳から目を開けて潜ることを覚えたので一日中目を赤くさていた。
六歳で初めて本を盗む。学校から盗んだ本は『ヨーロッパ沿岸の動植物』。P.621,627で紹介される海藻は実在のもの。
P.621-622の父親の言葉は、第二部で幻のアルチンボルディの父親が話していた内容と酷似する。
ライターの父親は消え去った故郷(プロイセン)を懐かしむために他をブタ野郎呼ばわりした。
観光客の一人が、泳いでいるライターを海藻と見間違える。
十三歳の時(1933年)に学校を辞め、職を転々としたのち、母親と同じ、あるプロイセンの男爵の別荘で働くことになり、そこで男爵の甥フーゴ・ハルダーと出会う。
ハルダーに勧められ、『ヨーロッパ沿岸の動植物』以外の本を初めて読む。ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ『パルツィヴァール』
1936年に男爵は別荘を閉じ、ライターは高速道路建設の一団に加わり、ベルリンでハルダーと再会し、工場の夜警をしながら、ライター、ハルダー、日本人のニサとベルリンを飲み歩いた。
1939年に徴兵され、ポーランド方面の突撃中隊に配属される。
小競り合いの後、フランス方面に転戦。ノルマンディーに駐留中、まばゆいばかりの喜びに満たされて溺れ死ぬことを夢想する。
ノルマンディー駐留後にルーマニア戦線に転戦し、ドラキュラの城でフォン・ツンペ男爵令嬢と再開する。
そこで、エントレスク将軍と男爵令嬢の交歓場面を目撃する。
休暇の間、ベルリンでフーゴ・ハルダーを探すも、彼が住んでいた部屋にはナチの党員家族が住んでいた。
そこで、その家の長女インゲボルク・バウアーと出会う。ライターは、バウアーを忘れないことをアステカ族にかけて誓った。
ロシア戦線で喉と胸を撃たれ声が出なくなり、、鉄十字勲章を授与される。
野戦病院を退院後に療養のために落ち着いたドニエプル川沿いのコステキノ村で、その村の青年で赤軍の兵士だったボリス・アブラモヴィッチ・アンスキーの手記を発見し、読みふける。
アンスキーの生家で過ごし悪夢を見て、声が出るようになる。
1942年、ライターは前線に戻される。アンスキーの手記は肌身離さず持っていた。
1944年東部戦線を退却中のライターは、コステキノ村に隠れ、手記をアンスキーの生家に戻す。
その後隊に復帰し、戦闘を放棄したルーマニアの部隊と合流し、そこで十字架に磔にされたエントレスク将軍の死体を発見する。
1945年敗北を重ねた末にドイツに戻ったライターは森に二ヶ月身を隠したのち、アメリカ軍に降伏した。
収容所で隣のベッドを占めていたレオ・ザマーと親交を結ぶ。
ザマーが戦中に行ったユダヤ人の虐殺をライターに告白してしばらくのちに、ザマーは死体となって発見された。
→ライターも共犯者?
捕虜収容所から釈放されると、ケルンでバーの守衛の職にありつき、インゲボルグ・バウアーと再会する。
肺の病気を抱えたバウアーと暮らしていたこの頃、詩ではなく小説を書くようになる。
ライターはバウアーに、レオ・ザマーを殺したことを告白する。
バーで煙草と花を売っていた老婆からは、本と黒い革のジャケットをもらった。
バウアーの病状が悪化する中、バウアーの母と妹二人がケルンに身を寄せ、バウアーがさらに消耗する。母と妹二人が実家に帰った後、バウアーは仕立て屋に勤め、ライターは最初の小説『リューディケ』を書き上げた。
清書するためにタイプライターを借りる時に老人に名前を聞かれ、ベンノ・フォン・アルチンボルディを名乗る。
タイプライターを探すために町中を巡っているうちに、ケルンに来た頃地下室で一緒だった戦車兵と記者に出会う。
ケルンに来た頃は仲良しと表現されていた二人が、再開した時には地下室にいた時から喧嘩が絶えなかったと表現されている。
→ライターの心境の変化?
タイプされた『リューディケ』とそのコピーを、ケルンの出版社とハンブルクの出版社に送る。
ケルンの出版社社長のミッキー・ビットナーへの罵倒の中で、性欲は男が失う最後の欲望と書かれている。死体の山に埋まって出られない兵士がマスターベーションをする。
ビットナーの会社はアメリカ軍からの横流し品を取り扱う会社で、社員は皆西部戦線にいた戦争をロマンチックに語りたがるクソ野郎だった。
『リューディケ』をハンブルクの出版社に送った二ヶ月後、出版社ブービス社からこの小説を出版したい旨の手紙が届く。
承諾の返事を書き、ライターはブービス社を訪ねる。社長のブービス氏はユダヤ人で、戦中に夫人を亡くし戦後間も無く若い女性と再婚した。
ブービス氏に名前を聞かれたライターは、ベンノ・フォン・アルチンボルディと名乗り、ベンノは19世紀メキシコの政治家ベニート ・フアレスにちなんでいると言った。
ブービス夫人となったアンナ・フォン・ツンペと再会し、『リューディケ』が出版されることになる。
『リューディケ』が出版され、三百五十部が売れた五か月後に『無限の薔薇』が出版され二百五部が売れ、地方で講演や詩の朗読を行い、ブービス社からタイプライターを贈られ、次に出版された『革の仮面』は九十六部売れた。
アルチンボルディは、マインツの批評家ロータル・ユンゲによって、ドイツの作家だがヨーロッパの作家とは思えないと評価された。
インゲボルグ・バウアーが肺結核と診断されると、療養のためにアルプスの町ケンプテンに居を移し、そこで『分岐する分岐』を書き上げた。
八か月後、再びケンプテンを訪れた二人は町の雰囲気が嫌になり、さらに山奥の村に逗留する。そこで、バウアーは夜に一人で村を彷徨い、病院に入院した。
退院後、彼らはオーストリア、スイス、イタリアを旅行し、アドリア海に面した村でインゲボルグ・バウアーは死亡した。溺死と噂された。
世間から姿を消したライターは、四年後に五百ページを超える長さの小説『遺産』をブービス社に送り、ブービス夫人と再会し交わり、『遺産』のゲラをチェックして加筆するためにハンブルクを訪れた。
その後は、ギリシアの島から原稿をブービス社に送った。
→海!海藻の少年。
ノートパソコンを買い、ネットでの検索をものにしたライターはある日、エントレスク将軍の秘書の一人だったヘルメス・ポペスクのニュースを見つける。
ポペスクはパリで東欧人の顔役マフィアになり(多分臓器売買も手がけていた)、ホンジュラス出身の女優と結婚し、ホンジュラスの利権を獲得し、女優と離婚し、パリの病院で死んだ。
ライターは年長者のフランスの文芸評論家に精神病院に連れていかれたこともあった。
文芸評論家は、精神病院を行方不明のヨーロッパの作家の避難先と表現した。
2001年、妹のロッテと再会し、甥のクラウスが刑務所にいることを聞き、ハンブルクでピュックラー侯爵の子孫からウンチクを聞き、メキシコに旅立った。
→ピュックラー侯爵は造園家としても割と有名。
※ライターにとって最も辛かった時期の、東部戦線の退却の光景はかなり意図的に省略されている。