メディアの質感がレトロニム化する現象
ジョン・ホイットニーの映像をp5jsで再現してもおそらく大したものにはみえない
https://www.youtube.com/watch?v=TbV7loKp69s
ブラウン管とフイルムの粒子感でシンプルな造形に存在感を与えている
だが、当時のホイットニーもその質感込みで表現として作っていたのか?
シンプルな造形が生成的に作られる美しさのほうに意識が向いていたのではないか。
CG黎明期のアーティストたちが、たまたま自分が使っていたデバイスの持つルックを意識的にコントロールしていたのか知りたい
robamoto
22年前(!)に書いたPostScriptプログラム、会社の最新のレーザー複合機のプリントキューにそのまま突っ込んだらちゃんと出力されて感動した これパソコンじゃなくてプリンタ側で再帰が動いてるの嬉しくない?(伝われ)
https://x.com/robamoto/status/1862428035137642938
NIINOMI / NEORT
そうそう! いわゆるGenerative Artの生成的側面におけるグッとくるポイントもこの"プリンタ側で再起が動いてるのが嬉しい"という感覚だと思う。
https://x.com/r21nomi/status/1862451659852718239
いま現在我々が所与のものとして使っているメディアも、あとから振り返ってみるとある種の質感を持っている可能性が高い。で、その質感を意識できているかというと、意識できていない気がする。Retina Displayを未来から振り返ったときにどういう特性があったのか、未来のデバイスができないことには比較しようが無い
VGA画質のデジカメが今エモいと言われているやつ
フィルムの光漏れによる感光を再現するアプリ
子供の写真を撮るとき、つい背景を整理したくなるが、あとから本人が見て面白いのは自分の写真ではなく、家のごちゃっとした背景のほう
むしろ若いころの自分の両親の写真はすごく面白い
将来的にどこに価値が出るかわからないので、logをとっておこうという意味にもとれる
音楽家が、録音環境が悪いときのひずみを「良し」とする感覚があったという話を聞いた(出典忘れ)クリーンな録音環境になって良さが失われたことに気づいたらしい。
モンドリアンの絵をIllustratorでかっちり再現してもたぶん間が持たない
紙や画材の質感が必要
モンドリアン自身はそれらの質感をコントロールしていたのか?意識していたのか?
とはいえ、手描きで絵を描く美術家も作品のコンテクストと絵そのものの間の持たせ方(ありがたみの醸成の技術)は別個に成り立つものと認知しているはず。ザラっとした紙を使ってテクスチャ感を出したりなどは普通にやること。
グラフィックデザインの世界では、印刷再現性が高い紙を求めてきた。表面塗工が改良され、発色が良くなり解像感も高まったが、同時に紙の存在感が薄れてきた。
失敗には魅力がある (永原康史先生) 活版印刷で紙が凹むレベルで圧をかけるのは印刷技術者としては避けたい失敗だが、結果的にみんなその凹みが好きになってしまった。
書きかけです
/robertstudy/メディアデザイン