DAILY RESEARCH
24.4.4
見た嫌な夢
集団で遊んだ後に私への贈り物みたいなのをふざけて渡されずに、工場に行って受け取ってと言われる。
Zozoみたいな工場に行って、この製品ってありますか?っていう確認をしに行ったら関係者じゃないからって理由なのか、変な黒髪の若い男に肩を組まれて作業場の方に連れて行かれる。「今終わったから下で待ってろよ」と脅すように言われて嫌だったので階段かエレベーターで行くか迷って40階から降りてくるエレベーターに小学生や大人たちと一緒に急いで飛び乗った。男に顔を見られるかもしれないから、うすぐらいエレベーターの箱の中で壁を見つめて乗った。一階に降りるとすぐ外なのでとにかく走って、ポポラマーマのスロープのところに隠れた。そこはクルクル頭のお兄さんがホーストブラシでスロープを掃除していて、なんだこの人、という顔で見てきた。水が少々かかりながら工場から出てきた人の群れに男がいないか垣根の裏から伺う。なんとか今はいないようだったから、駐車場をさっと抜けて住宅街の方に早足で歩き出した。そうすると狭い道で、少しフラフラ歩く男と妙に歩行のペースがあっていくから、なんかこの人変だなと思いつつ減速と加速を繰り返して進む。曲がり角を右に曲がったところでついにそのフラフラ男が話しかけてきて、ぬるぬると足を動かしながら歩いて見せてきた。怖がってる素振りを見せないために「すごい、ダンサーなんですか?」とか茶化してみたけどニヤニヤ笑うだけで何も答えない。前に歩いているおじさんもいて、その人と知り合いか、とか色々聞いたけどいやいや、、と話をはぐらかされる。とにかく早くさっきの友人たちと合流したいと思いながら歩くが、なかなか大通りの方に戻れない。ついになんか間がもたなくなって「あの工場に製品を取りに行ったんですよね、前に少しだけ働いてたこともあるんですけど」と言った瞬間、顔に水をかけられた。呆然としているところにもう2回パシャ、パシャと。「なんでですか、」と聞くと、そういう人にはこうする決まりだからね、こうしろって言われてるから、と細い目で笑いながら言ってきた。何かおかしいと思い、ばっと周りを見るといつの間にか歓楽街にいて、あれよあれよというまにがたいのいいスーツの男二人に囲まれた。すごく下世話なことをたくさん言われて嫌な気持ちになり、女性がいる薬局にすぐ駆け込んだが、その女性たちもニヤニヤしていて何かおかしい。この人たちも味方じゃないんだと思って、外に目をやると立ちんぼの女性たちが道路沿いに並んでいる。ここは終わってるって直感的に思った。「タクシーでも呼べば?俺らはあんなタクシー乗りたくもないけど」と言われ、なんで今までタクシーを呼ばなかったんだ、と思った。女性を鷲掴んでタクシーを呼んで、今すぐといい、呼んだらものの三分できた。少し後ろのドアが凹んだタクシーで、黄緑とオレンジの丸いラインの模様だった。ドライバーは髪の薄いお爺さんで、安心した。行き先をすぐ伝えると聞かれるかもと思い「天久保…」とだけ一旦伝えて走り出してもらう。裏道みたいなところを通ってなぜか知っている水場のところに着く。シンメトリーな溝がある水場、このまま行くと車が水に突っ込んでしまうとなぜか私は知っていて、案の定車は水に半分ずぶずぶと突っ込んでいった。魚がいるから降りたくないと私は言ったけど、運よく車がデッキに近づいて降りることができた。「あたしの色えんぴつが浮かんでいるので早く取ってください」といいながら間違えて小さな魚を摘んで、これは魚だ、と思ったりした。無事家につながる場所に戻ることができて、壁から生えてる階段みたいなのを命懸けで登って、目が覚めた。
11/16 支持体について
以前人から「そこらへんにあるものをすぐ支持体にできるのは最強なのでは」と言われたことについて考えました。(いつも人間も支持体にしていますが今回はそれではなく🐨)
その話をした日は展示でもらった紙見本に食べているブリトーの絵をマーカーで描きました。その絵ひとつでぼくにとっては「今日この展示を見た+この食べ物をこの場所でこの人と食べた」という記録になります。これはその日に関連する支持体とできごとが揃ったケースで、ただの紙にその日のことを全て描いて表すよりもぼくにとってきれいに記録を重ねることができてよくまとまった、よい作品です。
つい最近山梨に行った時は、僕としたことが紙をなにも持ってきていませんでした。どうしてもバスの中で山の絵が描きたかったので友達に大きめのレシートをもらい絵を描きました。この場合はそのレシートそのものにそれまでの過程が付属します。そこにバスの中で絵を描いた不安定な線だったり、バスの中から見える山を描くことで更に記録が重なります。これが作品をつくる際の支持体、モチーフ、描き味、行為の関係性のおもしろさだと思います。
ぼくがコラージュを好むのは、ここに理由があると思います。コラージュは色んなメディアによってどんどん意味を重ねられます。写真もドローイングも使えて、さらにその上に線を重ねたりシールを貼ったり破ったり切ったり、無限に続けられます。
11/15 持ち物とかファッション、あと言葉について
今日学校で作業してたらいきなり「この持ち物誰の??」て1人の留学生がおとももちにきいてて僕のだよ〜んて言ったら「パープル好きなの!?めちゃ色最高!お洋服の柄もキュート!」みたいな感じでいきなり嵐の爆褒めを頂き一気にハッピーな1日になりました。初対面なのに3分喋って気づいたらハグしてました。お相手のコミュ力に圧倒される。留学生の子はザハラさんという名前で建築のM1,イラン出身のマルチリンガルのすご人でした。インスタもフォローしてくれて、ビッグになれるよ!あなたみたいな人超応援してる!みたいな感じで鬼褒めてくれました。
僕はファッションが好きで毎日いろんなスタイルで大学に行ってるんですけど、持ち物とか服装はやっぱり自分の話をする時とか無言で自分ことを伝えるのに役立つなと思いました。僕も普段はじめての人と話す時持ち物とか服装とかの話から入るし、話題があんまなくても自分の持ち物から話持ちかけたりすることもあるので、一番目に見えてつつきやすいしつつかせやすいものなんだなぁと改めて認識しました。
そういうことを考えるとやっぱシルバニアファミリーの赤ちゃんは一匹持ち歩くべきだな。
あと今日は哲学Pの授業があったので少しこちらも。言語論的転回について少し知ることができました。
言語論的転回(げんごろんてきてんかい、英: Linguistic turn)とは、「ある人の使用する言語表現がその人の思想を写像(mapping)したものである」という仮定の下、思想の具体的分析の方法として言語の分析を採用するという方法論的転換を言う。
↑これは説明がむずくてwikiから拾ってきたのでさらっと読み流してください。)
それよりも僕が気になったのはこれに関連することで、授業で「言語が現実を構成する」「言葉が先行することで物事を認識できるようになる。例えば木枯らしとか春風という言葉を知っていたとしたら逆にその言葉の中でしか物事を体験できてないんじゃないか」みたいな話が上がっていたのですが、ほんとかな??と思いました。
僕が家の扉を開けて冬の澄んだ空気に感動した時は「冬の澄んだ空気」という言葉を知ってたから感動できたのでしょうか?なんかいい心地だと感じて、後から歩いてる途中に「最近明確に冬が始まった感じがするんだよな〜〜この澄んだ空気も毎年いい感じだ」とか色々考えてやっと言葉がその感覚にくっついていくという方が僕的には近いのですが、それでも言葉が先なのでしょうか。はじめてのものには自分で勝手に名付けたりするし、あんまりその実感はありません。
11/14 ピタパンってなんだ
僕は今日あんまりお昼をゆっくり食べられない日だったので、ピタパンと具を家から持っていきました。友達にピタパンってなに?て聞かれた時に、ドラえもんのポッケみたいなやつだよ、としか答えられなかったので、今日はピタパンについて調べます。調べてみるとピタパン、すごい。古代エジプトのパンの直系らしい。知らなかったんですけどメソポタミア〜エジプトはパンの故郷と言われてる地域だそうです。ピタパンの「ピタ」は何かというと、ヘブライ語でアラブのパンという意味。もともとは、ギリシャでパイ生地やこの種のパンのことをこう呼んでいたらしい。他にも、国外脱出を強いられたアルメニア人が欧米に伝えたとか、ユダヤ人が豆の揚げ団子をピタに挟んで食べていたのがアメリカに伝わり、ピタサンドとして普及したとか色々いわれてます。
ピタパンがポケット状になるのは300度ぐらいの超高温で一気に焼いて膨らむから。ポケットにするために焼いてるわけじゃないんだ。
何よりこの一枚の円状のパンををミシン目で切るとポッケになる感じとかちょう遊び心あるし見た目も可愛すぎるのでたまらず食べながら絵を一枚描いてしまいました。
描いた絵↓
11/13 あんまり使えてない色を使うシリーズ
今回は青寄りの濃い紫です。ドイツのおもちゃみたいな色味を目指しました。
描いた絵
11/12
11/11 絵を描くこと
高校の同級生でアニメーター駆け出しをしている友達と久しぶりに話す機会があり、絵を描くきっかけやどんな時楽しさを感じるのか質問されたので、改めて自分という人間と絵を描くという行為の関わり方について考えることができました。いい機会を設けてくれたな〜と思います。
いつから絵を描き始めたかというと3歳とか物心ついた時からで、4つ上のお姉ちゃんがすでに絵を描いていたので競うきもちで描いていたというのが大きかったです。その後漫画の表紙の模写を始めたりとかそこら辺は割とみんな通った道かなと思うのですが、僕は加えてお姉ちゃんと喧嘩したとかめちゃ面白かったとかそういう日々のことを文字と絵で描き殴っていました。それは僕が絵を描く行為を自己表現の手段としてすでに使っていたということになるなと思いました。自分は別に表現者じゃないと思って最近まで生きていましたが、大分前からそうだったのかもしれないです。
絵を描いてて楽しい時はいつかと聞かれて考えてみると、それに関わる一連のステップを楽しいと感じていることがわかりました。
対象を見つける時、それについて考える時、それをどんな画材でどんな気持ちで描き方で描くか考えて描く時、描いてる真最中の感覚、後から見返した時、全部楽しいです。
今は絵を描くことの意味や目的をたくさん持っている状態なので、まだまだ関わり方を更新しているのだなと思っています。僕はできれば絵を描くこと、大きく見ればものをつくることと一生仲良くしていきたいのでこれからもいい距離感を探りながら新たな一面を見出し続けてあげたいです。
11/10
11/9 シュクメルリをつくった
家に鶏胸肉とさつまいもがあったのでなんかシュクメルリのことを思い出して作りました。シュクメルリは前に松屋で食べたのが初めてで、めちゃうめ〜〜と思っただけで何も調べなかったのでこれを機に何者なのか調べてみました。
シュクメルリは鶏肉をガーリックソースで煮込んだ伝統的なジョージア料理の一つで、後に牛乳が加えられて、それがラチャ地方のオニ地区にある村シュクメリに伝わったそうです。料理名はここからなんですね。松屋で期間限定で発売された時はさつまいもが入っていましたが、オリジナルは芋だそうです。僕は鶏肉とさつまいもの組み合わせが死ぬほど好きなので日本版の方が好みでちた。寒い季節は煮込み料理をどんどん作っていこうかなというきもちになりますね。ラフランスのカプレーゼとスパークリングワインも一緒のよるごはんでした。久しぶりにゆっくり料理ができて嬉しかったです。秋の食卓の色はこんなイメージ↓
11/8 あんまり使えてない色を使うシリーズ
枠線の色が使えてない色で、他のはその色を使って絵を成立させるために集まった色です。
このレンガ色にはこの水色だろ!という感じで二色が決まり、そのあと黄土色が入り、最後に一色どうしようかなとミント色が入ってメンバーが決まりました。赤土、湖、少しカサカサした草木のイメージです。
描いた絵
11/7 あんまり使えてない色を使うシリーズ
色鉛筆を立ててみた時に高さがある色はあんまり使えてないということなのでその色のための絵を描くシリーズです。枠線の色が使えてない色で、他のはその色を使って絵を成立させるために集まった色です。なんかこのオレンジは元気な車のイメージが浮かんだので車を描きました。似ている二色の茶色とネイビーはオレンジを引き立てて、イエローで力を抜きつつ新しさをプラスしました。
描いた絵
11/6 良すぎる一日
朝から晩まで良すぎて爆発するかと思った1日でした。この日はスキピとの一年記念日でもあり前々からたのぴみしてたColdplayのライブの日でもありました。朝はあんまり早く起きないで、(何この日本語??)EuphoriaProjectのウェブサイトリリースのための動画素材を撮りに昭和記念公園に行くという目的があったので立川に向かいました。朝兼昼ごはんを食べにIKEAに行ってめちゃ美味しいサーモンフェアのお料理を食べられてウレピかったです。一年前付き合ってから初めていった場所がここだったので図らずも聖地巡礼みたいになりました。
昭和記念公園ですごい勢いで撮影してあそんだ後Coldplayのライブに行きました。Coldplayもですけど東京ドーム自体行くのが初めてだったのでデカくてビビりました。あの天井のふわふわ、空気圧でできてるのすごいな。Coldplayのライブは僕みたいなにわかでも会場の人全員と繋がれるみたいなピースフルな雰囲気があってたすこりでした。生歌生演奏はもちろん鬼上手いし曲としての満足感もありました。♡からの繋ぎもアルバムで予習していた()ところだったのできた〜〜!と思いました。行けてよかったです!
良すぎた一日でした。↓人工芝の色が珍しくて、お洋服といい感じだった
11/5 かんぺきあさごはん
これは数多くあるかんぺきあさごはんの中のひとつです。コーンスープ、パン2種、バナナ、コブサラダドレッシングをかけた目玉焼き、はちみつヨーグルト、コーヒー。食器はつくばの古民家フリマで手に入れたかわいいガラスの器、IKEAのキッズ用プレート。その上に置かれたコーンスープが入ってるのはリビセンで手に入れた超かわぽってり厚マグです。この秋冬にこういう時間を過ごすために選んだので、叶って嬉しかったです。お皿の上にさらに食器を置いたり、ごはんのコーディネートが好きです。食器も使ってる時にどんな音が鳴るのかとかもおもしろくてたまりません。もっと家にある食器や道具について考えたいです。
11/4 芸祭ショップがよかった
午後から花火を見る用事があったので少しお昼に芸祭にお邪魔してガチエンジョイして帰った。たべたと久しぶりに会えて、2人でドリランドのことを思い出しました。楽しかったです。芸祭のショップは今年規模がすごくて本当にいろんなものがありました。今年僕は出店してなかったんですけど、みんなお店のカラーみたいなのがそれぞれ出ていて、こういうぱっと見の印象をわかりやすくするって大事だなと改めて思いました。特に「Q太郎」(はるちゃんとキューちゃんとジュンリタヤが3人でやってるショップ)で置かれてたはるちゃんが作った什器がマジでクールですごいなと思いました。キューちゃんとジュンリタャの作品が置かれてさらに良くなるって感じだったんですけど、なんか特別「つくって」ないし解体もスッとできる、ただこの世の重力だけを利用してものを重ねるだけという至ってシンプルな操作だけでできていました。そこには、はるちゃんの大事にしていることみたいなのが感じられて、こんなに普通の素材だけなのにすごい。僕もそういう部分に自分のこだわりみたいなのが滲み出るようなものが作れたらよりおもしろくなれそうだなと思ったので何か作るときはそういうところまで気を遣ってみようかな。あともう一つ休憩中の人のショップもよかった!ブツとしてはバラバラだけどそれぞれが持つ性質の雰囲気、ノリがちゃんと合う物たちを集めてるみたいな。
11/3 OYAとショッピングに行きました
久しぶりにショッピングモールに行きました。すごいなんか久しぶりな感じがしました。この季節は毎年どの店もみてて楽しいラインナップで、この時期ショッピングモールに行ってた時の感覚を少し思い出しました。雑貨屋さんや服屋さんに売ってるオーナメントとか、輸入食品やさんでちらほら見かけるシュトレン予約案内、賑やかなアドベントカレンダー。紅茶屋さんはキラキラした紅茶缶を売っています。ここにいる誰もが、もうすぐ終わる今年をたのしくしあわせを蓄えて過ごそうとしている感じがすきです。
いいペンと新しいメガネ、秋冬服などを買ってもらいました、夜ご飯におうちでお刺身をみんなで食べられてうれぴかったです
記録↓
11/2 MOTHERの音が良すぎる
前から作業用のBGMとして任天堂の音楽を聴いていましたが、最近その中でも落ち着きめのミックスリストを聴いていたところ、この音いい!と思って調べたものがことごとく「MOTHER」というゲームの音楽でした。ピクミンもよかったんですけど気になって深掘りしたらMOTHERの方が全体を通してすきでした。以前BEAST WARSさんのVJをしたときに、「この曲はMOTHERってゲームにインスパイアされてて、、」という話の中でその存在を知っていたのですが、ゲーム画面の道がアイソメみたいに45度傾いている?のが特徴です。糸井重里さん(なんか名前だけ聞いたことある)というコピーライターがゲームデザインを手がけているそうで、独特な文章もそのゲームらしさというのに影響しているみたいです。特にEarthboundというシリーズ(MOTHER2の海外版の名称)のBGMがよかったです。もし寝る前の音楽とか作業用BGM探してたらぜひ聴いてみてください
ビジュアルもなんか独特でいいな
11/1 例えツッコミは有能
僕は出かける時割と常に心の中で軽い例えツッコミ(?)(というか「〜みたいだな」を繰り返すこと)をしながら過ごしている気がします。自分がティーバッグをリュックに入れて持ち歩いてる時は「紳士の国のコンドームかい」と思ったしデパートの奥行きあるトイレで出てきた人と入れ替わる時は「おトイレ・ランウェイ」と心の中で呟いていました。でもこれってなんかものつくる人間だったら結構いい習慣なんじゃないかと最近思って、上に書いた2つもめちゃくちゃくだらないですけど「紅茶ぐらいのライトさ+デザインのよさを含んだコンドームのパケデザイン」と「おトイレをテーマにしたファッションショー」が生まれます。こういう全然接点のないものを唐突にぶつからせることができたりするので、あるあるみたいな感覚とかこれに置き換えられるとかは面白いアイディアに繋がりやすいなと思い
ました。↓これ持ち歩いてたんですけどどことなくコンドームっぽい
10/31 布から脚が生えてるものがすきなのはなぜなのか
なんとなくいつも描く絵でモチーフとして無意識に出てきやすいものが布から脚が生えてる生き物?です。べつにメジェド(エジプトの壁画に出てくるやつ)が好きなわけではないんですけど、なぜこんなに布を被ったものに惹かれるのか考えてみます。こういう布で包まれてるものも好きです。
元々妖怪が好きで、高校で工芸部に所属していた時に百鬼夜行をテーマに藍染の型を彫るほどでした。もしかしたらこういう妖怪とか、獅子舞的な謎の中身がわからなくてドキドキするような生き物が好きだからというのが影響しているのかもしれません。
↑布に包まれた仁王像、今まで描いた布から脚絵、妖怪白布、沖縄の獅子舞など
10/30 インタープリテーション
僕の修士制作の対象地はベトナム・フエにある小さな村、ディンモン村です
テーマはちょっとまだ名前はついていなくて、「この村のインタープリテーションのあり方
ついて考える」という言葉でとりあえず置いています。こうであるべきだと思う、まで早く言語化したいです。
修士制作のテーマとして適当な言葉が見つからなかった時に、れいなさんが「インタープリテーション」というものを教えてくれました。インタープリテーションというのは、
・100年ほど前にアメリカの国立公園で始まった「伝える手法(技術)」のこと
・伝える対象は自然だけではなく、歴史や文化なども含まれる
・「見えるものを通して、見えないものを伝える」行為
また、インタープリテーションを行う人をインタープリターといいます
→「単なる情報の伝達ではなく、インタープリターの感性を媒介にして情報を提供し、来訪者に今までとは異なる新しい次元を開いてみせること」あるいは「物事の背後にある意味や価値を伝えること」
とされているもので、フリーマン・チルデンという人がその解説をしている人として有名です。
これめちゃいいなと思いました。語る人は当然正しい知識を話さないといけないんですけど、そこで個人の感性を一旦通す、というのがミソだなと。今回はインタープリターが村の住民になるので、みんな得意分野がバラバラで自分の住む村をどう紹介するか、みたいな違いがあっても面白いと思います。
今年の夏調査に行った時、(結果的になった)対象地の村の子供たちに村を隅々まで歩き回って数日間にわたって村を案内してもらったんですけど、川の水を触ったり、野生の植物をとって一緒に食べたりしてもらってから、日本に帰ってずっと、彼らのような存在を名付けたいとき、ガイドというには仰々しすぎるけどこれはなんていうんだろう、、とずっと思っていたので、インタープリターのことを聞いた時にこれだ〜〜!となりました。
そこは人が普通に暮らしてる村で、アミューズメントパークでもなければ公園でもないので、修士制作はそこらへんを踏まえてハード、ソフトの設計をしていきたいなと思っています。
10/29 モチベーションの源
モチベーションは人質みたいな感情によって出すものではないよなぁと思いながら、新学期が始まり手っ取り早い方法がこれだったためとりあえず採用してみた。しかし1ヶ月過ごしてみるもののしんどさが勝ち、毎日日をまたぐのが怖いと思いながら眠りにつく羽目になってしまった。これはいけないと思ってこの10月末、また来月からの過ごし方について考えた。
そういえば去年の卒論を書いていた時期も、壁に自分を追い詰める言葉を貼り己を鼓舞していた(?)が、もっとポジティブな言葉を書いたら?と言われたのを思い出した。これは鼓舞ではなくて脅迫に近い。そんな方法で生まれたエネルギーで何かをやっていい結果になるわけはないのだ。
自主的に「自分のためになる」を掲げ行動できたらそれがベストなのだが、それが脅迫より強い強制力を持たないというのが問題だ。だから自分はどっちのタイプなんだろうとこれからも考える。
整理した図
しかし、現状が良くないのは試してみてよくわかったので、もう少しポジティブなエネルギーにしてみる。まず勝手に自分の中で他者に「監視」の役割を与えないことだ。どうしても脅迫でしか己を動かせないのなら、それを他者にやらせるのではなくあくまで未来の自分にやらせればいい。未来の自分が「今行動しないとこんなにひどい、つまらないことになるよ、逆にやれたらかっこよくなれるよ。」と約束してやればいいのだ。もちろん約束はできないが、やらないよりやったほうが後悔がないのは確かなので。ここでこのメッセージに他者を介入させてはいけない。親や先生を裏切らないでねとか、みんなが見てるよ、とかは逆効果だ。淡々と自分が自分のなりたい姿のために何かをやっているという姿勢を崩してはいけない。ひとりで勝手に自分のために、自分勝手にやるのだ。他者が介入してくるのはやっとここからで、あくまで「その過程を結果的に見せる対象」という立場にする。この人に見せるからこうするではなく、あくまで自分の中でやったことを他者に見せる、もちろん話を取り入れる必要があるときは積極的に取り入れる。
日々の過ごし方もこれだけやったよと人に言えるぐらいの毎日にしようというきもちで、できなかったときはイマジナリー他者に叱らせるのではなく未来の自分に叱らせればいい。イメージに叱らせることに変わりはないのだから、そこに「他者を裏切った」という自責の念まで含めなくていい。ポジティブで自分に合った方法ならいいが、モチベーションの源を他者に委ねすぎないことが大事だ。人のことを考える前にまず自問自答をくりかえしていくべきである。
内省の時「である。だ。」口調なりがち〜〜〜
これは追加でそういえばと思って思い出したんですけど、僕にとって自主制作はいいもの作れたからみて!すてきでしょ!で、他者を待たせてても冷や汗をかくような感じのきもちじゃないのを思い出しました。いいもんつくるから待ってろよ的な感じで、自分にも他者の目がいい具合に効いてる状態。2-3年前とかまでは、人にこういうふうに見られたいからこういう作品を作ろうとか思ってるんじゃないかって疑心暗鬼になって嫌だった時期もあったのですが、今は自分のうちから湧き出る興味みたいなものによってつくりたいもの、展示したい(他者に共有したい)ものが出来上がってるので、これぐらいの塩梅が自分にとっていいんだなと思いました。環境デザインをやる自分もはやくそうしてあげたいです。
10/28 肌の塗り
肌塗り実験
デジタルで描くにしても層の意識は大事だなという話です。この前バスの中で肌を塗るときに色鉛筆で緑、青などを敷いた後に上からサーモンピンクや赤を重ねるという工程を踏んだのですが、めちゃ感触よかったのがきっかけです。おそらく油絵を描く人とかは常識なんじゃないかと思いますが、僕は改めて効果あるな〜〜と思ったのでこれについて考えました。単に色の重なりで深みが出るっていうのもそうなんですけど元は静脈の青が肌の内側に透けて見えて、っていうのがリアルに基づいた理由であります。実際イエベの人はその血管の壁が青+黄色で緑っぽく見えるとか、ブルベの人は青+ピンク?で紫っぽく見えたりとか、そういう感じで肌表面の印象として現れています。
肌がとてもわかりやすい例ですが、一つの見えている色、もしくは目指す色をどのような工程でつくるか、が大事だなと思いました。いい色の色鉛筆を手に入れてから、実験を怠けていたわけではありませんが、その色自体を信用しすぎて、使いたいと思いすぎて、「〇〇色」を自ら作り出す意識が抜けていました。描く動機、選ぶモチーフ、描き方、色の作り方、自分が表現したいことはこれらの項目のパラメータがどうなっていればできるだけ表現できるのか、毎度丁寧に向き合うべきだと思いました。
10/27 なくしもののタイプ
今日は朝から授業のチームで集まって作業をしようということでホットコーヒーをIKEAの黄色いプラ水筒にいれて持っていきました。持っていったはずでした。
教室に着くとリュック脇のポケットに入れたはずの水筒がなくてびっくりしました。出る直前に野菜ジュースとヨーグルトを持って出たから、それと入れ替えになって置いてきたんだ!またこのパターンだ!まじでなんなの!?と思って家に帰ったらありませんでした。どこ??と思ったら駐輪場にすこしそこが凹んだ水筒が落ちてました。結構序盤で運搬失敗してて草、という感じでした。常に音楽を聴いてるので相応大きい音じゃないとものを落としたことに気づけないのです。
落し物、忘れ物、総じて「なくしもの」として、自分の過去のなくしものをタイプ分けしてみました
1.なにかと入れ替えで置いてきてしまった
これは1番よくあるやつで、他のものを追加で持っていかなければならなくなった時に元々持っていこうとしていたものを置いてきてしまうパターン。帰ってくると冷蔵庫の上にバナナ1本とかが置いてあったりする。
2.なにかしらの行動の過程で意識や興味が別のものに持っていかれて置いてきてしまった
なにかのみちのりでなにあれ!となってそれを見ている間に無意識的にモノを置いてきてしまうパターン。出先でよくある。
3.じゃまだという理由で衝動的にどこかに置いてきてしまった
これは携帯や身につけるものに多く、その時邪魔だと思うと身体からそれを取り除く行為を衝動的に行ってしまう。後のことを全く考えられない余裕のない状況で起こりやすい。
4.一時的に隠れてしまい、なくなったと思い込んでいる
アクセサリー、ファーなどがこれに該当する。ネックレスが後ろに回ってて見えなかった、ファーが衣服の内側に入っていた、など。実際には失くしていないが、その場で勘違いをするので前の道を探しに戻ったりして時間をロスしたりする。気づくまで永遠に無いものを探し続けるので厄介。
5.整理整頓したときにしまった場所を忘れてしまった
整理整頓した、と思ったらどこにしまったかわからなくなり、再びモノと出会えなくなるパターン。これで二重にモノを買ったりして損する。
6.何らかの理由で落としたことに気付かなかった
そのまま。
今行っている対策:立ち去る時に必ず後ろを振り向く、絶対持っていきたいモノは前もって玄関に投げておく、モノを見えなくなる場所にしまわない、モノを身体から容易く離れないようにする。です。
10/26 あたらしいなにか
今日は木ゼミがあり、4年生が卒制のテーマ発表をしてくれまちた。4人の提案それぞれカラーがあって聞いててたのしかったです。それぞれ最初に𓏸𓏸をつくります、っていうんですけど、H先生がそれに対してコメントしてて、あ〜なるほどと思ったので共有します。1人の4年生が、「公園っぽいんだけどこれからここにつくるのは公園ではないあたらしいなにか」ということをアドバイスされていて、4人とも結局そういう結論になってました。(発表する時にわかりやすくするために言葉を借りてる側面もあると思うけど)
まぁそうだよねといえばそうなんですけど、自分が制作するときの心持ちとしてそれは忘れないようにしようと思いました。
既存の名前がついた施設の組み合わせじゃなくて、本当に必要で大事な機能が、その場所に組み込まれ効果を発揮する、そういうあたらしいなにか、を名付けてデザインするきもちでいなくてはと思いました。
Charming NOISEのように、あたらしい名前で、あたらしい定義のなにかです
10/25 RISURISU 「世界」とはなにか
今日は哲学プラクティスが2時間続きで考えすぎて頭が痛くなりました。毎週テーマのしりとり的な感じで続いてはいるのですが、今週のトピックは主に「世界とはなにか」でした、楽しかったです。
毎回授業の終わりに小レポートを出すんですけど、今週は以下のように書きました。画像は板書です。文字と音声で理解するよりもやはり自分は図にしたほうが理解が格段に楽になるなと思いました。急いで書いてるので字が汚いんですけど文字に起こしたことが要約って感じです!
実態(木にぶつかって進めないとかそういう、肉体を持つことによる物理的、物質的?な制限のある世界、踏みしめている地面に限らず宇宙空間も含む)としてあるところを「フィールド」と呼んで、実在するかわからないけど他者と重なり合ったり混ざり合ったりするイメージの粒やフィルターを「ワールド」と呼びます。これら二つが合わさったものが「世界」だと考えています。
フィルターが重なり合うことやイメージの粒が隣合い混ざり合うことがコミュニケーションだと思っていて、それは言語だったり非言語的なもの(モノやコトを介した共通の体験、バイブス、ノリ)両方あると思います。他者とのワールド同士共通項的なものがあるとしてもそれはとてもよく似た別のものであり、完全に一致することはありません。あくまで印刷物のように、インクが隣合ったり重なり合ったりしているだけで、絵の具の混色のように新たな色が共有した相手との間にできるわけではないと思います。それを〇〇色とする、としても、それは定義して限りなく両者の認識を近づけるための手段であって、完全に両者が持つ二つのイメージの粒は合体して一つの粒にはなりません。
この考えでいくと、言語も非言語コミュニケーションも、ワールドを構成する要素の重なり合う、隣合う部分を互いに認識し合い、コミュニケーションが取れている、同じ世界に生きている、と「より強く思い込むことができる」ということになります。
授業の中で、世界は言葉の規則の集合でしかない?というようなことを喋る人もいましたが、コミュニケーションの手段は言語以外にあると思うし、バイブス、ノリ、みたいな非言語コミュニケーションもお互いのワールドの一部を共有していると錯覚するには十分有効な手段だと思いました。
10/24 (お題をもらいました)
Q.ふるさと感、とか、「望郷」って欠如した場合どうなるんだろう。人間はどんな「故郷」の経験をすべき?
人にとってふるさとは、必ずしも生まれて、長くすごした場所ではないと思っています。
僕の場合は千葉の実家より青森のおじいちゃんおばあちゃんちの方がふるさとだという認識が強いです。毎年冬に1度行くだけなんですけど、むしろそのイベント感が「帰る」というイメージに結びつきやすいのかもと思います。ぼくは青森に行くといつも雪の積もった田んぼや、澄んだ空気をひとりでみつめるのがすきで、そういう時間が感じられる場所は、初めて来た場所だったとしても「帰ってきた」と思うことがあります。
また行ったことがないムーミン谷にも「ここに行きたい、帰りたい」と思うことがあります。故郷というものが実際にあろうとなかろうと、自分のこころが帰りたいと思う場所は総じて故郷に成りうると思います。
これが欠如すると自分がこの世のどこにもいないような気持ちになって、今いる場所さえ空想で、自分という存在も疑ってしまうような気がします。
まだ行ったことのないところでも、初めて来たところでもよいのですが、自分がそこに存在することが明確に感じられる、想像出来る、もしくは逃げこめる場所を見つけるべきだと思います。
10/19 Relational Art
「関係性の芸術」。アートを日常性と対立したものではなく、相互に依存し、また制作のモチベーションにも不可欠な関係にあるとみなす立場、もしくはその立場によって生み出される作品の通称。(引用)
授業で初めて聞いたんですけどこういうアートのジャンルがありました。製作者と鑑賞者の関係だけに止まらず、作品の制作過程に生じる周囲との関係も含みます。(というかそれがメイン)90年代後半に生まれた定義で、それについてニコラ・ブリオーというキュレーターが詳しく本を書いているそうなので読んでみたいです。
授業で紹介されていた作品はさいたま国際芸術祭2023の「Women’s Lives 女たちは生きている」で展示された山岡 さ希子さんの作品で、一つの大きなトピックに対してアンケートやインタビューをとり、その様子をまとめた動画やアンケート用紙を壁にずらっと貼ったりしてました。HAMとかもこれに属するかもですね🦆
自分も似顔絵を描いたり自転車を擬人化してキャラを描いたりするのはコミュニケーションの1種として考えている部分が大きいです。
そのときにとったメモや渡して書いてもらったカルテなどが、完成品よりも僕にとって大事なものだったりします。
日常の中のものを描く時ももの同士、またはものと自分自身の関係について描いている、というこころもちがしっくりきます。
自分がなんだろうと思いながらぐちゃぐちゃとやってきたこと、これからもだいじだと思ってやっていきたいこととして、また環境デザインとビジュアルデザイン(アート?)の中間という解としてこれはひとつあるなと思いました。名前を見つけることができてよかったです。
10/17 Excelが難しすぎる
今日は短期雇用の仕事でExcelが壊滅的にできなくてすごい変な表を作って先生に怒られました。Excelは縦横のぶつかるところ、みたいな百ます計算みたいになってるんですね。初めてちゃんと認知しました。
Excelが普段の自分の脳みその構造と乖離しすぎていて表を作るのが難しいです。もちろん変な表を作ってやろう、と思って作ったわけじゃなくて頑張って考えて作った結果変な表になってしまったのに、変なことしないでと怒られたので悲しかったです。
先生も唯一のM1が僕しかいなくてかわいそうだなと思いますが、きっと後から入ってくる後輩は普通の表を普通に作れるんだろうなと思うと、自分は漫画とかでよく見るめっちゃ仕事できないポンコツの先輩ポジションなんだなと思って悲しくなりました。これからも多くの人が普通にできることができなくてびっくりされることが多々あるのだと思うと恐ろしいです。
悲しくて泣いてふて寝してしまったので今日は新たな発見はありません。
10/16 バッタを握った
自転車のハンドルにバッタがついてることに気がつかず軽く握ってしまいました。表面は薄くて乾燥してるのに少し柔らかくて本当に気持ち悪かったです。その後もしばらく感触が残っててだいぶショックでした。前にキャンプ場の水場でプラのマグをおいたらゴキブリの上だった、という最悪感触記憶もあるのですが、なんかあれをやったあとって感触の上書きをするために手に他の刺激を与えたり別のものをめっちゃ叩いたりしちゃいます。でもそんなにすぐには消えませんでした。触覚てどのぐらいの間記憶に保存されて何がトリガーで引き戻されるのか気になりました。匂いとかと同じメカニズムなのでしょうか。
10/15 TAKEO PAPER SHOWに行きました
TAKEO PAPER SHOWが入場無料とは思えない充実度、お土産でした。一番好きだった作品は紙の収縮を利用した作品で、シルクでUVインクを刷ることで水をはじいて収縮率を小さくする部分とそうではない部分を使い分けていろんなRの曲線を作ったりしてました。インクを刷る長さと裏表を変えるという操作だけでいろんな構造を作ってるのがスマートで好きでした。これは松ぼっくりの性質から着想を得たそうです。
松ぼっくりの鱗片は外側の方が内側より乾燥により繊維が収縮しやすいので乾くと引っ張られて開きます。鱗片の間にできた羽つきの種子を飛ばすためです。逆に雨が降って湿ると閉じます。これは日本のマツがとりあえずこうですが、一度開くと閉じないマツもたくさんあるそうです。
10/14 砂沼の生態系
下妻市の砂沼に調査に行きました。筑波実験植物園の人が下妻にある砂沼の生態系保全に協力しててお話聞けました。コシガヤホシクサをいう植物が砂沼で絶滅しかけていて、たまたまタネを取っといた人がいたおかげで今再生しなおせてるらしいです。ちなみにホシクサは「干草」じゃなくて「星草」です。花自体が星みたいな形なのと咲く花が白くて遠目で見ると星みたいだというのが由来だそうです。
コシガヤホシクサは越谷原産の水生植物で一年草。花をつけたタイミングで昆虫に花粉を運んでもらうことで繁殖するので花が咲くときに水から頭が出てなくちゃいけません。砂沼で絶滅しかけたのも、水不足で農業用水のため池である砂沼に開花の時期も水が溜められてしまって水位が下がらなかったのが原因でした。逆に季節で水位が変わる農業用水の沼だからこそ繁殖できたとも言えます。人間が暮らしのために水を引いたり溜めたりするサイクルとコシガヤホシクサの生きるサイクルが噛み合ってるのが面白いです。
↓発表用に描いた絵です
10/13 ナスについて
今日はインスタで見たレシピでナスの炊き込みご飯を作りました。なすに隠し包丁を入れて梅干し、酒、塩を入れて炊くだけです。
ナスってなんかずっと何??と思ってたので栄養を調べます。
ナスの栄養は主にナスニン、カリウム、食物繊維、葉酸らしいです。ナスニンって嘘みたいな名前ですが老化対策になるらしいです。→活性酵素の発生やはたらきを抑制する(抗酸化作用)、カリウムはミネラルの一種で細胞内液の浸透圧を維持したり体内のphバランスを保tたりするはたらきがあります。ナトリウムを排出する作用もあるので塩分のとりすぎも防げます。
ナスの食物繊維は不溶性食物繊維で、水を吸収すると膨らむ性質があります。のでうんぴのカサが増してお通じがよくなります。そういえばダイエットにハマってた時サイリウムっていう不溶性食物繊維を粉で料理に入れてたのを思い出しました。オオバコ科の植物でインド、地中海で栽培されてるそうです。
葉酸はビタミンB群の中の一つで、赤血球を作ります。これが足りないと貧血になるので意識的にとろ〜て思いました。なんか息切れとか疲れやすいなって時はいつも血のことを気にするようにしています
10/12 ストレリチア
院試の手伝いをした日で、自分の耳(髪の方の)を二つ触っていたらトゲトゲしててこの植物のことを思い出しました。僕が植物園に行くたびにめちゃ好きでみる花です。今回は絵、図が多いのでノートをそのまま貼らせていただくます。長く続けるためにも今後こういう形が混ざってくると思いますが字の練習も兼ねてなるべく読める字で書きたいと思います。4枚目はストレリチアから色鉛筆の混色テストです
10/11 立山信仰
今日は中央図書館の民俗学コーナーに初めて行きました。ぼくが修士制作で扱うテーマが、その土地に根付く伝承や歴史、文化などを特に大事に扱わなければならないジャンルなので(地域的にも墓守の歴史を持つ村で少し特殊)そもそもまず日本の地域の信仰でどんなものがあってどういう祀り方、考え方をしてるのか知りたくなったからです。
今回僕が読んだのは展示の記録冊子で富山県の立山という地域の立山信仰、山岳信仰についてでした。内容はメモに全部書いてあります。ちょっと頑張らないと読めないです。
10/10 モノについて
前からこの物が多く混沌としてる空間について考えています。一つの大きな内容は「制作に必要なノイズと不必要なノイズ」についてです。不必要なノイズというのは失くしても自分の制作スタイルに影響を及ぼさないし無い方がいいものです。
何度か画材や道具はここ!みたいな感じで整備するんですけど毎回制作していると結局道具を元の場所に戻せません。でも前よりグループ分けを甘くしたらざっくり同じようなものが机の上にまとまるようになって、細かすぎても自分には維持する能力がないけど適度な整頓は意味があるのか…という気づきを得ました。あとどうしても目に見えないと存在を忘れて制作するときに選択肢から外れてしまうので見える位置に全部置いときつつ整頓する、みたいな工夫が必要です。
探し物をしている時にこれもやりたいんだった!みたいな感じで寄り道しちゃうしやりたかったこと忘れる、みたいなのは何回もやっています。これは不必要なノイズなんですけど、ADHD気質の自分しかみてないだろうなというチャーミングで制作に欠かせない必要なノイズもあります。
このイラスト→ https://www.instagram.com/p/Cy0Xx9YLH68/ とかがわかりやすい例です。逆さにしたグラスの上にパンケーキが乗った皿を乗せている状況で、花みたいだなぁとその時思ってイラストしました。これは意図せずこうなっているのですが、その背景に僕の性格や行動が確かに存在する、というのがめちゃ面白いです。多分ジョンさんだったらこんな危ないところに皿も乗せないし、ましてやパンケーキも乗せません。これは僕の持ち物と行動で構成された意図せずできたモノです。最近は赤パプリカがマグの上に乗っかっていたり、ズボンが不貞腐れたみたいに脱ぎ捨てられてたりなどが面白かったです。これは私がどうしてそのモノがその状態になっているのか思い出すのに時間がかかったり、自分でも知らぬ間に、という度合いが大きければ大きいほど面白いです。これで一冊本を作りたいです。なんかこのモノに名前をつけたいですね、呼びにくいので。Charming NOISE にしようかな 地層とか川の石とか、あらゆる自然は意図せずかたちを成していて、何もしてないのに綺麗だしおもしろくなっててすごい!と思いますが、自分の家のモノたちは私の意思や行動が反映されていて、完全にほっといてできているわけではない、というのが完全な自然との違いであり、着目すべきポイントだなと思っています。
リスは見つけたどんぐりを地面に埋めて保管するのですが、それをどこに埋めたか忘れてしまって、そこから芽が生えたりするらしいです。かわいい上に植物の保全までしてて偉いですよね。僕のはただ家が散らかってるだけなのでかわいくないし環境も保全していませんが、制作のタネにはなっています。
10/9 パスタマシンを!買いました!
パスタマシンて、シンプルに名前おもろ、楽天カードマンみたいな。
なぜパスタマシンを買ったのかというと、パスタを作るためではなく版画をやるためです。
版画にはプレス機というデカ道具があり、それでいろんな手法の印刷をすることができます。プレス機が欲しすぎて自作できないか調べたこともありました。超我流で体の力をめちゃ使うパワープレス機や、3Dプリンターさえあれば誰でも作れるデータを配布してくれている海外のスタジオなどいろいろありましたが、小さいサイズの版画しか作れないな〜と思っていました。
が!最近パスタマシンで版画をやっている人のブログを見つけてこれが正解や〜〜と思いました。要は回る金属の棒にめちゃ挟まれれば成立するのでうってつけだったというわけです。
届いたらコラグラフ、リトグラフ(最近キッチンリトグラフというアルミホイルとコーラを使った手軽なリトグラフがある)、活版印刷などなどいろいろ試したいです
10/8 プリントゴッコ
ママンとパパンとピクニックしてお買い物してガパオライス作ってあげました。
土浦にあるリサイクルショップに行ったのですが、知らんオタクの同人誌から台湾で作られたシール(劣化してもうくっつかない)までさまざまなものがありカオスで楽しかったです。中でも文房具コーナーのところで何かのインクを見つけて、RISOの文字が書いてあって何!!て思ったら「プリントゴッコ専用インク」と書いてあったので帰って調べてみました。
理想科学が昔出してた製品だったみたいで、自宅で製版が行える代物でした。親もなんかみたことある〜て言ってて大ヒットした製品だったみたいです。僕も欲しい!と思って製版の仕組みを調べたら専用のランプみたいなのがあって、それを光らせることで感光させるのですが、一度光らせるともう使えない消耗品のランプのようでした。当時使ってた人は1版作るごとに1ランプ(|1000)を消費するので頑張ってブロッキングして一つの版の中でインクを分けて置いたり版の重なり方を工夫して数が少なくてもいろんな色が出るように頑張ってたみたいです。そういう制約の中で生まれる作品、絶対今のシルクとも違うしなんか面白いはずだ…
JAMに頼むより安いんじゃ??と一瞬思いましたがそんなことなかったです。
RISOのプリントゴッコが紹介されてるかわいいサイト↓
23.10.7 ホックニー展で考えたこと
じゅんりたゃんとホックニーの展示をみにいきました。2年生のときかなんかに版画の授業でホックニーを知ってからすきだったのでうれぴかったです。作品も当然のようにすべて良かったんですけど、なにより言ってることにすごい共感できました。巨匠なんだけど結構人間だな〜〜と思いました。
「みる」「かく」ことについて冒頭で話していて(もしかしたらキャプションかもです)、描く行為は自分の空間認識を平面に落とし込むためだと。
たぴかに、僕も日々みる・かくをしてるのでなんでやるんだっけとかたまに考えるときにおぼえておきたいから、おもしろいからとかもあるけど今僕がどう世界を見ているのかを鮮度が高いうちに描き表さないと!みたいなのが大きいなと思いました。人に共有したいとかもあるけど何より自分が見たい、後から追体験したいとか、前個展やった時にともひろさんが「冷凍保存」という言葉を使っていたけど本当にそう。
それのスーパースーパーすごすご版がホックニーなので、また目指すべき人ができたなというきもちになりました。
ホックニーが肖像画(ポートレート)を描き始めた理由として、なんか見えてるのをそのまま描くのはだめなんや!って思って人の雰囲気?細かい仕草とかを捉え直すため、というのが書いてあって、ああこの人は自分の友人とかが対象だったら自然とよく観察するだろう、ていう風に自分のことを理解してるんだ、と思って、自分にとってそういう対象とかタイミングはなんなんだろう、と思いました。
(日本語がいつもに増しておかしいのでせめてものアレで改行してます)
10/6 色について
peachtoberのお題が「EYE」だったので「ものの見え方」についてです(今回はアニメにしたのでまだできてないです;;)
僕は絵を描くときになんとなくで色を選んでいるのですが、固有色とか環境色?みたいなのが存在することをうすうす認識しながら今まで調べずにここまできたのでこの機会に調べてみようと思います。
僕の好きなイラストレーターのヒロさんの解説が一番わかりやすかったです
わかったことをざっくりかくと
・固有色(ものの色)は光の反射で見えているのでこれ!といった絶対的な色はない、
・固有色は相対的なものである
・色の名前は「範囲」として捉えた方がわかりやすい。(ここからここまでは◯色、と「みなす」など)
・固有色は明度、彩度的に中間の色を選ぶのが無難。(明るくも暗くもできるため)
ヒロさんのyoutubeにも飛んでいくつか動画を見てみたのですが、「明度さえ守っていればどんな色でも絵が成立するのか」というのが面白かったです。僕もこれEuphoriaでモノクロVRやった時に同じことを思って実験してたので。結果として最終的に色味を調整することになっていたので「成立しない」、という検証結果になったのですが、僕からしたらこれはこれでいいなぐらいの感じでした。結果に従えば色は絵にとってやはり重要なものだということがわかる、という締めくくられ方でした。euphoriaのときも確かに出来上がった絵は良かったけど混沌としていたので「絵として成立している」という感じではなかったです。(僕は機械ではないから色鉛筆の明度をきちんと対象物の明度と対応させられていなかった可能性もある)
目の前にかわいい静物があったので練習してみました。1時間で疲れてしまった。
環境は右側に暖色のランタンのライト、部屋全体柔らかい暖色のライトです。これはたべたのおうちにいたゴマフアザラシのぬいぐるみです。椅子はベトナムのチッチャイプラスチック製のやつ
23.10/5 SPRIG
今日のpeachtoberのお題、springのスペルミスかと思ったら普通にこういう単語がありました。意味は「折りとられた小枝」「布地の小枝模様」「頭のない小さなくぎ」とかいうなんか全部かわいい意味でした。くぎってひらがなで書くとかわいいな。今回はガッシュではないアクリルを下地に、細かいラメが入った絵の具、重ねて水彩色鉛筆、油性色鉛筆、コピック、みたいな感じでたくさん工程を踏んでテキスタイルみたいにしてみました。最後にテープ剥がして多角形になるのきもちぇです。
それと授業の近現代美術論が今日から始まって、シドニーの大学美術館
CHAU CHAK WING MUSEUMについて話してもろて、展示の仕方が面白かった話を聞きました。最近流行ってるらしいんですけど展示を年代順じゃなくて概念順というか、なんかまとまりが別の基準で選ばれてるという話でした。例えばミイラの棺桶(?)と静物画が「生活」という括りで同じ場所に飾られてるとか、絶滅した動物の剥製と骨が飾られてる後ろにその動物の柄となんとなく似てる抽象画が飾られてるとか、そういう感じでヴンダーカンマー的な雰囲気になってるみたいです。
これを聞いて僕が展示をやるときもそんな感じでぱっと見の印象が重なるような全然違うもの同士が同じ場所に展示されてたりするのもいいなと思って少し妄想を描きました
あと同じくオーストラリアの州立美術館をSANAAが増築の設計に関わってて、デッっっかいカーテンとかがいい感じでした、あと地下のタンク空間的なところをイベントスペースみたいにしてるのもよかったどす
23.10/4 男性脳、女性脳
今日は哲学プラクティスという授業でいろんな人と「男性脳、女性脳」について話し合いました。(そもそも脳による能力の違いは男女で差があると思うか、ということから問われていたので差がある、という前提で話が進められた訳ではないです。)
僕は僕の体験から、「よく聞く話では男性の方が空間把握能力が高く地図が読める、女性の方がマルチタスクが得意、人の気持ちを察する能力が高い、などあるが、私が実際に生活する中でそのようなことは感じられない。私はマルチタスクが苦手だし、私の指導教員は男性だけど地図が読めない。男女の脳のつくりには医学的に多少差があったとしてもあくまで個人の単位で、関係性なども影響して違いが生まれていくものである。」と意見を述べました。
上に書いた関係性というのは、人は生まれたらもうすでに何かしらの関係性の中に組み込まれていて、その時々にそうする必要があったり、強いられたり、そうなりたいと思うことで自然と導かれた結果自分自身がそう在るだけだ、ということです。
もう一つの視点として脳みそではなく物理的な理由(体格など)によるもの、体の大きい人は電車の中で窮屈な思いをしたり人に申し訳ないと思ったり、呼吸の動きが大きかったり、そういう意図しない部分で振る舞いに差が出ているのかもしれない、と思っています。
他の人の意見の中に、脳の医学的な違いが男女になくても、我々の認識の中の「解釈の男女」があるかぎり、育つ過程でそれによる影響があるので「男女」の能力の違いは残り続ける、というものもありました。
授業の中でデイヴィット・ヒュームという哲学者の名前があがり、「原因と結果の因果関係はないのでは、原因と結果の因果性は主観的な信念に基づいて成立するものである」(ざっくり)そのような考えを提示している人がいると聞きました。
ヒュームは物体が知覚の束である、とするだけでなく、精神(自我や人格)もまた知覚の束であるとした。←ちょっと調べたけどまだあんまりわかりそうでわかりませんでした。
以上支離滅裂な日本語ですがゆる哲学授業の一回目が楽しかったので共有でした!🌈
23.10/3 水について
お題がsweetだったので意味を調べるとその中に無塩である、硬水でない、て意味があって、sweet waterで調べてみると確かに淡水や真水て意味で使われてました。かわいい単語。そういえば硬水が苦手ってことだけであんまり調べてこなかったなと思ったので軟水と硬水について調べる。
硬度=水1Lあたりに含まれるカルシウムやマグネシウムの量を数値で示したもの。
日本では硬度100mg未満の水は軟水、硬度100mg以上の水は硬水と分類されている
なんで日本は軟水が多いのか?→地形が関係してて、山が急で水の流れが速く水が岩石と触れ合う時間が少ない、加えて火山活動でできた地層が多いから地中にミネラルが少ない。
ヨーロッパの大陸は山と海が遠く離れててゆっくり水が流れる。岩石と触れる時間も長いし、魚の骨や貝殻が含まれる石灰岩層が多いためミネラルが豊富。
一番面白いと思ったのは料理のことで、ざっくりいうと日本食を調理するのは軟水が、洋食は硬水が適しているらしい。(アクアクララのサイトでいうてた)
軟水でご飯を炊くとふっくらする、だしは水分の浸透性の良さから軟水が適している、同じ理由で煮物なども野菜に水分が浸透しやすくて柔らかくなる。お茶も軟水が渋みなくていい。
逆に硬水は肉の煮込み料理、硬水のミネラル成分と肉のタンパク質が結びついてアクを出してくれて臭みがなくなりやわらかくなる。野菜スープもマグネシウム、カルシウムとアミノ酸が結合してアクになり、旨味成分だけ残せる。
硬水に含まれるカルシウムはお米の繊維硬化させるからパエリアとかカレーとかのコメ固めの料理にいい。パスタも麺にコシが出るから◎
なんかその地域の水はその地域で作る料理に適してるのすごいなと思いました。まあ日本でもスープは作るし海外でも煮物作ると思うけど、米とかパスタは結構普遍的な主食だから特におもぴろい
熊谷、木更津、沖縄硬度高め
同じアジアでも北京は硬水でした。ニューヨークは軟水。ヨーロッパはもちろん全体的に硬いけどイギリスは島の上の方にいくほどやわらかくなってた。
23.10/2 COSMOS
@furrylittlepeachてアカウント名でシドニーのイラストレーターさんが毎年10月に開催してるPeach toverというSNSお絵描き月間みたいなのがあるので1日乗り遅れたんでしけど参加してみるる。ちなみに去年は3作ぐらいつくって追いつかなくて終わってしまったので今年は完走したい🍑
昨日のお題は「bee」今日は「cosmos」でした、調べてみると
cosmos
1.<哲学的な意味で>【秩序があり統合された】宇宙。ここにおける対義語はchaos
語源は「秩序」「宇宙」を意味するギリシャ語のkosmosから。
2.秩序ある体系、調和総体
3.混沌と対比した秩序・調和
4.<植物的な意味で>メキシコ・アメリカ南部・中南米北部原産のキク科コスモス属
20数種ある、一年草or多年草
こんな感じだったので単純にコスモスの花をルールに従って描くことにしま!
23.10/1道路について
・中央分離帯
中でも植栽されてるやつを中分植栽て呼ぶ。日本ではトウネズとかツツジとかがポピュラーだけど外国ではまた違ったご当地植物が植えられてる。タイでは黄色い花が印象的だった。植栽を植える意味は対向車の眩しさ防止とカーブ見やすくするため。あと景観に違いをつけるため。
・アイランド
高速道路の人がいるところとかデットスペースになるようなとこが一段高くなって車両の侵入を防ぐ。マジで島っていうててかわいい
・チャッターバー
車線とかの真ん中にある道路鋲 Chatter bar「がたがた音を立てる」の意味
上から見ると平行四辺形で、仮に車がはみ出しそうになっても自然にハンドルを左側に切ることができて、対向車線にはみ出さん。積雪量多い地域は除雪の邪魔になるから秋に撤去、春に再設置する着脱式。
・ラウンドアバウト
島、エプロン、環道の順で外側に広がっていく。エプロンは車両が長い車とかが曲がれるように、のバッファ
中央分離帯がめちゃくちゃでかい南多摩尾根幹線道路
鎌倉の鶴岡八幡宮にいく参道も中央分離帯
兵庫県西宮市、県道82号大沢西宮線に夫婦岩ていうでか岩ある。祟り的なアレで退かせないらしい、石、岩、盤座の関係がうんぬんって書いてる人もいた
道路の真ん中に木が生えてるところmap