社会計算機における膜の再帰と記号創発のサイクル
我々は、ミクロマクロの細分化がなされた輻輳的かつ、適応的なレイヤーを持っている。 前提として、生物における適応は、
生態学的ニッチとは、そのまま生物のその環境における統計流域。環世界。 我々の職芸や社会的属性は、他の生態系における生態学的ニッチと同等なのだろうか? 自然での適応という厳密な意味で生態学的ニッチとは言えない。
種の単位ではそんなに食性もライフスタイルも変わらない。
でも仮に生態系でないなら、多様性などいらないことになる。
Miyabi.icon創発の偏在するこの人間社会は、十分に生態系を成していると僕は思う。
☑️生態系のレイヤーを複数持つ人類。
それぞれのレイヤーは他のレイヤーに対して適応的で、自己組織化しているように振る舞う。
全体が再帰的なマルコフブランケットの社会計算機である。 淘汰は子供の数と生存率で決まるので、この文脈ではあまり関係ない。 むしろ、資本主義の生態系に強く適応している現代の先進国は、自然淘汰的な文脈では不利。
もはや今日の資本主義という自然において、子沢山は適応的ではない。
国家にはインセンティブがあるが個人にはない。適応のレイヤーが別。
加えて、進化が何を指しているのかは明確にしておく。進化の偽目的性は、より強くなることや賢くなることではく、生態学的ニッチにおいてより適応的に振る舞うことにある。 Miyabi.icon能力主義者はポケモンのやり過ぎ。
100年単位で変化しない
二世代に一回あるかどうか
通信システムとしてのメディアが変化する時に進化している傾向がある。 後は食料生産
文字→文明の中央集権化
新聞→国家
企業や官僚組織
文化進化やテクノロジーに適応する。
記号を推論する(マーケティング)
集団の適応に適応する。
生態学的ニッチとしての社会的属性
文化進化に適応する。(記号のボトムアップな再生産)
文化進化のサイクルで社会的属性が再帰する。