非線形な世界 雅
魚
いうこと、の反映だが、水が流体力学にしたがうのはその中を魚が泳ぐからではもちろんない、と、水は魚が存在する以前から存在したのだし、魚がいなくても水の流体力学的送則は成立し続ける、われわれの脳と世界の関係もこのように理解されるべきものである、つまり、われわれの脳がある種の法則性を認識できるように作られているのは、世界にわれわれを離れて法則性が「実在する」か
らだ
あらかじめ知ることのできないものがわれわれのスケールの現象に影響を及ぼすことになる。こうして世の中は無制限にややこしく無法則的になってもおかしくないのだが、世界はそんなにデタラメではなさそうだ。ある程度理解可能のようにさえみえる。
ノイズと非線形に満ち満ちた世界の毎日が驚きの連続でないというのは驚くべき経験事実ではないだろうか?積極的にこの経験事実を活用するのが第3章の目的である。世界を理解するということは、それをそのすべての細部にわたって認知するということではあるまい。われわれのまわりの世界(環境)の理解がこんなことを要求するのであれば、われわれはひどく新鮮な世界に毎日目をさますということになりそうだ。しかし、「日の下に新しきものなし、」われわれが大事だと感じる環境の部分が日々むやみに変らないからだ。われわれに重要と映る部分はかなりに安定なのである。より精確にいうと、どうでもよい些末な部分とそうでないより安定な部分とに環境を分節して後者が驚きを与えなくなったとき、われわれは環境を理解した(あるいは少なくとも環境になじんだ)と感じるのである(それは錯覚でもかまわない)・もちろん、
Miyabi.icon名文
ある現象をその安定な部分(つまり、ディテールを動かしても変化しない部分)と、それ以外のディテールに敏感な部分とに腑分けして、前者をはっきり理解すること(望むらくは、その本質を理解すること)をその現象の現象論的
理解
(phenomenological understanding)という”、先に述べたわれわれの環境の理解の仕方は現象論的であり、現象論的理解で十分われわれが生きていけるということが、この世界についての自明でない経験事実である。
Miyabi.icon現象論的理解で十分であるということは、あるモデルを使って予測する事で機能する脳のベイズの定理に従った理解の妥当さを感じる。
世界を見るとはどういうことか
「本質」を定義するのは難しい(「本質」とは「物、事がそれ自体として本来何であるかを規定する自己同一な固有性」「物をそれ自体としてあらしめる属性」などとものの本にはあるようだ)が、平たくいえば、「要するにこういうことだ」。実際的、具体的制約のためややこしいことがいろいろあるだろうが「枝葉を取り去っていえばこういうことだ」,「この勘所を押さえれば現象の大事な点は再現される」というようなことが、われわれが直観的にとらえる「本質」ということだろう.「本質」はその性格からして抽象的であり、その表現はしばしば数学的になる.「わかる」ということは具体的なことを抽象的に言い直すことだと言った人もいる34ということを思い起こそう。
物事の抽象的本質を理解しようとする学問が「体系的に世界を見ようとする努力」すなわち基礎自然学である。その非実験的な部分は基礎数理科学でもある。本書では数学だ、物理だとうるさいことをいいたくない。
もちろん、そもそも物事に「本質」などないかもしれないし、あってもそれに注意を払うことが得策とは限るまい。たとえば、生物学と「本質主義」(essentialism)
さて、非線形であるということはこの宇宙のほぼすべての現象に普遍的な性質であるようだから、「非線形な世界」を見ることは「世界」を見ることと言ってしまえばそれまでである。それにもかかわらず「非線形」と取り立てていうのはなぜか。非線形性はスケールの干渉にその特徴があった。そのためにわれわれの世界から「不可知」な要素を排除できずその完結した理解は不可能になる。その非完結性は新たな現象をもうみだす。その記述は新たな概念を必要とするだろうし、完結した理解を前提としない現象の記述法「現象論」を必須にする。そこで、本書は解説の的を概念分析と現象論に絞る。これが「非線形」を明記する主要な理由である。
Miyabi.iconなめ敵に非線形記述が必要だと考えるべき理由
.5 この本の構造
第2章の主題は、直観的にはわかっているつもりの事柄を明示的にそして明断に記述すること一概念分析一である。明晰さが要るのは人との意見の交換がまともにできるためであり、非線形な世界を研究するためだけに必要なことではない。第2章ではカオスを例にして概念分析を正面からやってみる。そのためには、ランダムさ(randomness)とは何かという質問が避けられない。必然的に計算の理論(theory of computation),アルゴリズムとは何か、などという数学基礎論めいた話が無視できなくなる。現実の世界を見る際にこんな話を知っておくことがためになるとも思えない,という意見もあるだろう.しかし、この本で説明する程度の初等的な話は、専門を問わない常識だろう。
しかし、ある事柄について明示的定義を与えることができないということは(それが無定養的基本概念でないかぎり)。その事柄のわれわれの理解に何か失けたところがあるか、そうでなければそもそも明晰な表現が不可能だということだろう.たとえ、後者であっても、明晰な表現の努力をしてはじめてその不可能性が判然と認識できるのではないか、だから概念分析 (conceptual analysis)の例を提示することは実際の研究にも無意味ではないはずである。異なった個人の間で意見を交換し、しかも、言葉遊びを避けるためには、数学が人間に許された最も明断な話し方である。数学を使うということは、数学で数学の外にあるものを表現することだ。したがって、その表現されるべきものはあらかじめかなりの程度明確になっていなくてはならない。このために概念分析が必要なのである。なにしろ、われわれの研究対象は限定されていないのだから、諸概念も前もって与えられているとは考えない方がいい。概念分析は世界を見るための主要な方法である40.
第3章では”くりこみ理論®(enormalization theory)の考え方が現象論を抽出するための一般的な理論的概念的枠組として説明される
極意は系の安定な諸性質をその現象を説明しているとされるモデルから抽出することである。ここで、ある性質が安定かそうでないかは系を(摂動などで)ゆすぶってみるとわかる。ゆすぶってもびくともしない部分があるとき、厳密な意味で現象論が可能になる。もちろん、このとき面白い現象論があるためには、びくともしない部分が自明であっては困る。(常識的な意味で)自明でないびくともしない部分を見せる現象はくりこみ可能(renormalizable)であるといわれる。ある現象がくりこみ可能で現象論が確固として存在するとき、その現象はくりこみ構造を持つという。上に説明したことは、一口にいうと、世界にはくりこみ構造や近似的くりこみ構造を持った現象がたくさんあるということだね。
Miyabi.iconモアイズディファレント
。ある現象がくりこみ可能で現象論が確固として存在するとき、その現象はくりこみ構造を持つという。上に説明したことは、一口にいうと、世界にはくりこみ構造や近似的くりこみ構造を持った現象がたくさんあるということだね。さらにこのことが世界がある程度独立な部分系からなるように見せてもくれるだろう.これがわれわれに世界を理解することを可能にする「世界のからくり」だと考えられる.われわれ「知的生物」の発生を許した世界のからくりだと言ってもいい。
イスラームのスコラ哲学を体系化したイヴン・スイーナー(Avicenma 980-1037)の思想にもしては、質料と形相はともに実体である。「なぜならば、形相はいわばそれを答れる物を楽体として、それに内在するのであるが、遊体にあたる物それ自体は、自分の中に内在する※
相なしには存立しえないからである」(井筒俊彦「イスラーム思想史」(中公文庫、199
課題1.5.1 素粒子論のこの文脈での意義は何か
現象論的理解はしばしば物質を離れているから、それは数学的な形をとらざるをえない。実際、現象論を追究することは一連の現象の裏にあるミニマルな
(十分に簡単な)数学的構造を探すことと言ってもいい。もしもそれらの現象を与える系のよい(そして、簡単な)数学的モデルがすでにあるならばっくりこみ理論的考え方で現象論を抽き出せる可能性が大きい。しかし、自然はモデルを与えてくれはしない。それはわれわれが作らなくてはならない。そこで(自然)現象のモデル化を第4章で、相変化のダイナミクスを具体例にして考える。
モデルには少なくとも二つの大きな用途がある。一つは現象の記述の道具としての用途であり、もう一つは考えの塾合性を検証する道具としての用途である。後者の使い方は数理論理学や計算の理論などではありふれたものであり、第2章でいくつか扱われる。現象の記述の道具として、現象論を再現するミニマルなモデルは、われわれによる現象の理解の到達点をしめす。したがって、モデル作りは基本的な作業である。
現象の記述の妥当性はったとえば、ある着目している観測量が定量的に記述できるかどうかで、ある程度客観的に判定できるだろう。問題は,「現象の記述に成功したのだからそのモデルは正しい」と簡単に言えないところにある、記述の成功は必要であるがよいモデルの十分条件ではない。十分条件など、はっきりと列挙できるようなものではないように思われるが、単純に現象と合うということ以上の要求は必要である、何を要求すべきか
48 さらに、自己組織性が重要とされる社会や経済現象も単に自己組織化の点から考察されることが多いが、たとえハチの社会であっても、重要なことは組織化されているものが質点なんかではない複雑な系。脳で制御されている系であり、これが自己組織的なフィードバック
ループと相互作用する点である.J.J. Boomsma and N R. Franks, Social insects: from selisn
genes to self organisation and beyond," Trends Ecol. Evol. 21, 303 (2006). Neuroeconomy * °
が重視されはじめた所以である
計算でランダムさを作れないから、計算機からランダムを
自然から計算機の方が自然。