大域的アトラクターについて
一つは意識観、もう一つは行動と知覚のプロセスに関係する。
意識観について
最初に想像したのは脳の機能局在論と全体論。昔は機能的局在論が支配的だったけど、今は脳全体のダイナミクスとして機能的に活性化する部位、を考えることが多いから、これはアトラクターと似ているかもしれない。(これは単に’機能が’局在しているか?だけではなくて、意識が局在的か否かという話にもなると思う。
意識の座はどこか?という問題。
例えば、統合情報理論では情報の統合度を意識のレベルとして考えるわけだけど、これを指示する人たちは大脳辺縁系を意識の座と考える人が多い。
対して、「意識的である」という状態を「感じ」で捉えるべきという説もある。*マークソームズなど。この人達は意識の座(我々が意識だと思っている感じの座を脳幹だと考えている。
これに対して、「意識の座はどこでもあるしどこでも無い。」というスタンスなのが大域的アトラクターだろう。
脳の構造は中心に向けたレイヤー構造になっているわけだから、それぞれ/全体で情報の統合度を考えることができて、これらをアトラクターで考えることはできるだろうと思う。
もう一つは仏教だけど、中観思想と大まかには対応していると思う。
意識をプロセスとして捉える点、
「離散的であるが同時に連続的な意識」など。
もう一つは、行動と知覚のプロセスを含めて大域的アトラクターとして考えるものだけど、能動的推論や受想行識はこれに対応していると思う。
僕は大域的アトラクターについてもう少し理解しないとだけど
意識みたいな「あるのか無いのかわからないもの」をプロセスにおける顕れとするという点では、神経科学における自由エネルギー原理や、中観思想と類推して見えて来るものがあると思う。