パンドラの鐘
高校の演劇部文化祭公演で鑑賞
原作:野田秀樹
物語の舞台は、大平洋戦争開戦前夜の長崎。歴史の謎に惹かれ、考古学者たちが掘り出したのは、土深く埋もれた巨大な古代の鐘。
その鐘の姿から、歴史から遠く忘れ去られた古代王国と、
鐘と一緒に葬られた古代の秘密が浮かび上がる。決して覗いてはならなかった「パンドラの鐘」に記された王国滅亡の謎とは?そして、古代の光の中に浮かび上がった<未来>の行方とは・・・?
長崎の原爆がモチーフになっているなんて、最初の時点では気がつけない
ミズヲの名前の由来が「水を」だとわかった時の衝撃は今でも忘れられない
ミズヲが最後にヒメ女に向かって語りかけるシーン
観客に向かって訴えかけてくるシーンはものすごい迫力だった
あれは原爆投下後の焼け野原で無残に焼けただれた人々がミズヲに向かって「水を」「水を」と呼びかけたからミズヲという名になったのだよおおおお
現代と古代の架け橋になっているミズヲいい役すぎないか?
ミズヲ役の先輩がハマり役すぎて泣いた。割と号泣した。
死体を運ぶ葬儀屋であること、ヒメ女を大切に思っていること、登場シーンから最後のセリフまで魅せられた
ヒメ女の気高さと少女性の儚さがやばい
あの気高さを演じていた演劇部の先輩やばすぎ
神を紙と掛け合わせて言葉遊びするのは、他のザ・キャラクターでも用いられていた構図
まずは、オープニングの素晴しさを特筆したい。自分が芝居を観るにあたり、オープニングの善し悪しというのが、作品に対しての評価を左右する大きな要因にもなっている。中には例外もあるが、オープニングで芝居に引き込まれない作品は、そのままつまらないままで終る。初め良ければ終り良しなのである。今回の大きな紙を使って瓦礫の山を表現する演出は、今まで観たなかでも5本の指に入る素晴しさであった。舞台を覆った紙を破り古代王国が出現するシーンに於いては、瞬きするのがもったいない程に引き付けられた。NODA・MAP的には「Right Eye」で見せたモノクロのシーン、「ローリング・ストーン」での塔が崩壊するシーンに匹敵する素晴しさだと思う。
自分の考え過ぎかもしれないが、その紙を使った演出は、紙=神、神=天皇だった時代をも表現しているのではないだろうか。その紙を破って舞台が始まるのは、天皇=神という神話の崩壊をも表現していると私は感じた。
この考察が一番好き
ミズヲがヒメ女が鐘と共に埋められた後に言うセリフ
ミズヲ 賭けをしましょう。あなたの服に触れず、その乳房に触れた日のように、
いつか未来が、この鐘に触れずに、あなたの魂に触れることができるかどうか。
滅びる前の日に、この地を救った古代の心が、ふわふわと立ち上る煙のように、
いつの日か遠い日に向けて、届いていくのか。
ヒメ女、古代の心は、どちらに賭けます? 俺は、届くに賭けますよ。
これがめちゃくちゃ泣けるんだよやばい
ミズヲ 遅かれ早かれ、俺の頭の上でもうひとつの太陽は爆発するんだ。
ヒメ女 こんなにも美しい音色にそんなにも恐ろしい人間の思いつきが宿っていたなんて。
ミズヲ そうかそうか、そうだったんだ。
ヒメ女 どうしたの?
ミズヲ 俺のはじめての記憶、赤い景色、あれは初めての記憶なんかじゃない。
最後の景色だ。
ヒメ女 なに言ってるの?
ミズヲ このパンドラの鐘の下で見る未来だ。その日、俺の頭の上で、
もうひとつの太陽が爆発するんだ。
思い出したぞ。未来のその日を。八月のとある一日を。俺の頭上でおこる、まっ白い光を。
その直後に見えるすべてが、焼けたセルロイドのように、真っ赤に揺れていくのを。
「水をくれ、水をくれ」。はじめて俺が覚えるコトバだ。
赤く焼けたすべての人間が木が建物が風景が、俺のことをそう呼ぶ。
「水をくれ、水を、水を」。それが俺の名前になる。
誰もが、俺をそう呼ぶ。
「ミズヲ!ミズヲ!」。
俺は、そうして死に絶えた。この世のすべてのものを土の中へ返してやろう。そう思ったんだ。
そして俺は、この古代へ還ってきた。だのにヒメ女。
ヒメ女 なあに。
ミズヲ ここでもまた俺はあの景色を見ることになるのか。
これもまじでやばいんだよ
この鬼気迫る演技がね、もう忘れられないんだよ