論理哲学論考
https://www.youtube.com/watch?v=sxDT1_7BJ50&t=545s&ab_channel=%E5%B8%B0%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%BC
やばい本である
哲学はいろんなことを語ろうとする
経験的な内容とか
「今日雨降った」とか
形而上学的な話題
経験的ではないこと
「神の存在」とか
ウィトゲンシュタインはいう
形而上学的なことを語るのは意味なくね?はい全ての問題解決ー!!
「語り得ないことについては、沈黙しなければならない」
インデント構造になっている
1、1.1、1.2みたいな感じで
難解な本である
一回読んだだけだと理解できない内容
記号論理学的な知識が必要
大まかなストーリーライン
前半
写像理論
1:世界は成立している事柄の総体である
=世界は物の総体ではない
世界を記述しようと思った時、「世界には人間がいて、りんごがいて、」みたいな数え方をする
これは「物の総体」として捉えている状態
=成立している事柄の総体である
出来事、事柄の総体
目の前に麒麟がいる
電子レンジの上にりんごがある
物の総体だと何がいけない?
物同士の関係はどうでもいいことになってしまう
「ここに葡萄がある」すらも世界に含まれなくなる
非常に空疎な物である
故に、
世界は成立している事柄の総体ある
2:成立している事柄、すなわち事実とは事態の成立の事を言う
事柄、事実、事態、何が違うの?
事柄≒事態
成立しているにせよ成立していないにせよ論理的に可能な事柄
「コロナウイルスが2020年に世界的に流行している」、は成立している事柄
「ピコピコウイルスが2020年に世界的に流行している」、は実際に起きていなくて成立していない
ただ、想像は可能だし、論理的に成り立つ。
故に、「事柄」や「事態」と呼ぶ
事実
成立している事態のこと
コロナウイルスの文は事実になるが、ぴこぴこウイルスは「事実ではない」
世界は成立している事柄の総体ある
2の文章を噛み合わせると、
世界とは事実の総体である
事実の総体は「世界」じゃあ事態の総体は?
「論理空間」と呼ぶ
徳川家康が2020年にタイムスリップして紅白に出た。など
成立していない事態も大量に集めてできた集合
論理空間は膨大な量の「事態の総体」
https://scrapbox.io/files/62aab452f7ee4d001d396d00.png
2.1:我々は事実の像をこしらえる
事実=本当に世界で生じている出来事
これらを我々は命題、絵画、音楽、マイクラ、レゴなどで表現する
これらを像と呼ぶ。現実に対する模型のようなもの
像をこしらえることによって、成立していない事態や成立している事態を描くことができる
写像形式
像は現実を写像した物なので、像と「現実=事実=成立している事態」は何かが一致しているということ
論理形式
写像される事態や世界と像の間で共通の基本構造を持っている
論理形式と写像形式
論理形式は事実や事態=世界が既に持っているもの
像は、この論理形式を写し取られた物でもあるから写像形式は論理形式でもある
写像形式は論理形式のコピー。だけどそれは論理形式の全てをコピーした物ではなく、限定的。
例
音楽という像は、世界の音の形式を写しとってできたもの
だけど匂いや色は写し取ることができない
風景画という像ならば、世界の風景の空間や色は写しとれるけど...
匂いや時間変化は写し取ることができない
写像形式より論理形式であれば、その像は論理像と呼ばれる
https://scrapbox.io/files/62aab74c3d07160022d496b3.png
像は論理像でもある、つまり像は論理形式を物語っている、故に像は世界を記述できる
命題
像にはいろいろな種類があるが、論考で注目しているのは「命題」
真偽の判定ができる言語表現のことをいう
命題
そこにりんごがある
rickshinmi.iconは可愛い
命題じゃない
そこにある塩とって!
幸せにする事を誓います
命題は最も強力は像である
レゴみたいに嵩張らない
マイクラみたいに像を作るのに時間がかからない
写像理論の説明以上!!
ここからの流れ
ウィトゲンシュタインが気になるのは、
世界の有様をどこまで私たちは記述できるのか?
世界をそのまま観察しても何も発展しない、故に強力な命題、即ち言語に焦点を当てて考える
言語とはいえ、私たちが使う日常言語には曖昧さが含まれている。曖昧さをなくてして事細かに世界を記述できる完璧な言語を考え始める
その完璧な言語でさえも記述できないことがあることを証明した上で、語れないことがある、つまり
「語り得ないことについては、沈黙しなければならない」
https://scrapbox.io/files/62aab8ed1376e000236dae69.png
3:事実の論理像が思考である
思考の定義をしている
「思考とは論理像をこしらえること」と定義した
2019年にミルクボーイが優勝した
という文章は、実際に世界でそういう事実があり、それを写しとったので、論理像と扱う
この文を発した私は「「「思考」」」していた
うんちが青くてピンポンピンポンしている私に赤が飛行した
この文章は世界の中の事実を写しとったわけではなく、論理像ではない
3.02:思考は思考される状況が可能であることを含んでいる。思考しうることは可能なことでもある
論理的に言って可能なものしか我々は思考できない
非論理的なものは思考できないし言語で語ることはできない
しかし、「全ての論理的に可能なものを人間は頑張って思考して、言語を用いて語ることができる」
ウィトゲンシュタインは原理的に語りうる命題の総体が「事態の総体=論理空間」に一致すると考えている 
https://scrapbox.io/files/62aaba64ceb16b0023b07ead.png
4:思考とは有意味な命題である
真か偽かにかかわらず、論理的なものや意味のあるものは思考できるが、意味のないもの、非論理的なものはそもそも思考できない
真理関数の理論
5:命題は要素命題の真理関数である
https://scrapbox.io/files/62aabad21981920021075c32.png
そもそもウィトゲンシュタインは自然言語は哲学における混乱の元となっているから新しい完璧言語を想定して新しいの作ろうぜわっしょおおおい!!
完全に分析されたきめ細かい命題を想定している
ex:
2019年のM1でミルクボーイが優勝した
クッソ細かくないし粗い
もっと細かくしてみる
2019年の「毎年行われる一番漫才が面白いお笑い芸人を決める大会」
にできる
じゃあ漫才って何?みたいな無限ループに入る
極限まで細かくされた命題
ウィトゲンシュタイン.iconこれを要素命題と呼ぶ
要素命題の構成要素を「名」と呼ぶ
我々が考える「漫才」とか「大会」とかの名詞とはかけ離れているものと思っていい
名の組み合わせでできた要素命題の集合、これが人工的な完全言語の正体である
要素明大を組み合わせてできた命題を複合命題と呼ぶ
仮に...
私はレモンが好き
私はりんごが好き
っていう要素命題があったとき
「私はりんごも好き、かつレモンも好き」というのが複合命題
振り返り
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3.3「名」は命題という文脈の中でのみ指示対象をもつ
時間や空間や文脈の指定のないリンゴなんて存在しないよね〜
名も要素命題から独立して存在できないよ〜!
じゃあこの人工言語はどうなっていくの〜!!
記号論理学的に命題を関数として捉える考え方をしてくる。
論理学はアリストテレスが体系化させて、それからフレーゲとラッセルが発展させる
これを記号論理学という
命題論理と述語論理に分かれてくる
命題論理
命題同士の推論の関係を扱う分野
述語論理
一個の命題の内部を扱う分野
要素命題はpとかqと表す
複数の要素命題を論理結合子によって組み合わせることで、複合命題が出来上がる
論理結合子とは
条件if連言and選言or否定notの4つ
https://scrapbox.io/files/62aac03d1f08ca00205963c9.png
ex
p=今日雨が降っている
q=私は野球をする
~p=今日雨が降っていない
p.q=今日は雨が降っていて、かつ野球をしている
pVq=今日は雨が降っているもしくは、私は野球をしている
p⊃q=今日は雨が降っていれば、私は野球をする
要素命題は真か偽をとるため、「今日雨が降っている」は窓を見て本当に雨が降っていれば真だし、降っていないければ偽
要素命題は真か偽かをとるスイッチのようなもの
(p,q)=(t,t)(t,f)(f,t)(f,f)の四種類しかない
故に、要素命題の真偽から複合命題の真偽が確定する
雨が降ってあるいは、私は野球をしたという複合命題は(t,t)(t,f)(f,t)において真、(f,f)は偽になる
要素命題が100個あってもそう
あれ?これって関数みたいじゃない?!
故に、命題のことを真偽値にまつわる一種の関数として「真理関数」ともよぶ。覚えといてね〜!
複合命題の真偽は部品である要素命題の真偽の組み合わせで決まる
複合命題の中には真偽値がどんな組み合わせであろうと、全部真を取るもの、偽を取るものが存在する
全部真であるもの=トートロジー
pV~pという複合命題はpが真であろうと偽であろうと常に真になる
p=私は人間であるにすると、
私は人間である、もしくは私は人間ではない
これらは何かを語ったことにはならないよね!
全部偽であるもの=矛盾命題
述語論理とは?
一つの命題の内部を扱う
二つの記号(量化記号)
∀
「全ての」を意味する普遍料記号
∃
「ある」を意味する存在量記号
ex
全てのxはFである=(∀x)Fx
あるxは Gである=(∃x)Gx
まとめて論理抵抗って言うよ〜!!
論理定稿は語れるのか?
5:命題は要素命題の真理関数である
全ての命題は要素命題の組み合わせであり、要素命題の審議によって自身の真偽も決まる関数
6:真理関数一般は、$ {\bar {p}},{\bar {\xi }},N({\bar {\xi }})と書ける。これは命題の一般形式である。
pは要素命題
$ {\bar {\xi }}は諸命題の任意の部分集合
この集合の中には、要素命題とか複合命題も入る
$ N({\bar {\xi }})は構成する全ての命題の否定を意味する
否定論理積と言う
真理関数にもどろう
実は全ての命題は要素命題に否定論理積Nという操作を言う限界反復した結果
複合命題は、条件if連言and選言or否定notの4つに分解できる
ただ、複合命題はそんなめんどいことせずに、一つの操作で作れる
その操作がN(否定論理積)
N(p,q)とした場合、命題pとqを共に否定する操作を意味する
つまりpではない、かつ、qではない=~p.~q
https://scrapbox.io/files/62aaea44c1373500221edf68.png
Nの()の中に入っている、命題を全て否定する役割
実は全ての命題は要素命題に否定論理積Nという操作を言う限界反復した結果
何をどうやっても置き換えができるよね!
pではない=~p、はN(p)
pVqはN(N(p,q))
https://scrapbox.io/files/62aaeab9bdd963001d7d3215.png
p.q=N(N(p), N(q))
4つの論理結合子はたった一つの論理演算子に代替される
7:語り得ぬものについては沈黙しなければならない
ウィトゲンシュタインは何が語り得ぬものだと思っていた?
論理形式
言語の側である命題と世界の側である事態が共有するもの
4.121:命題は、論理形式を描くことはできない。論理形式は命題の中に写っている。言語の中に映っているものを言語は描くことができない。言語の中で自分を表に表しているものを、私たちは言語を通しては表現することができない。
ex
画家が絵を描いた。画家が世界の側、絵が像の側
絵を見たときにそこにあるものが書かれていないことを知る→画家本人
絵が絵を生み出した存在である画家(=写像形式)そのものを表すことができない
ここで風景を描いている画家の様子を描いても同じ
https://scrapbox.io/files/62aaecc51f08ca00205d2f0c.png
論理形式そのものを命題によって語ることができない
論理形式を語ろうとして命題をこしらえてもその命題自体が論理形式を下敷きにして描かれている
この命題が下敷きにしている別の命題が必要になる
論理定稿も語ることができない
4.0312:命題の可能性は、記号が対象の代理になるという原理にもとづいている。私の根本的な考えは論理定稿は対象の代理にはならない、ということである。事実の論理には記号による代理はあり得ない、ということである。
https://scrapbox.io/files/62aaed673b2e65001da42f7b.png
論理定稿が語り得ないので、量化記号も語れない。故に存在も語れない
「存在」の難しさ
A is Bはできる
Is is xxは語れない
isのためにisが必要だから
ハイデガーはここら辺も頑張った
論理形式を直接対象に語ってはいけない派閥は論理実証主義というグループに引き継がれる
語れないこと二つ目
形而上学的なもの
世界は存在する、とかを語るの無意味!!
そんな言葉を発することがあるのは世界があるから
6.44:世界がどうであるかということが神秘なのではなく、世界があるということが神秘なのだ。
6は形而上学的なことが語れないことはいっぱいかいてある
6.42「したがって、倫理学の命題も存在し得ない。命題はより高い次元を何も表現できない」
6.432「世界がどうであるかは、より高いものにとっては全くどうでもいい。神が姿を表すのは、世界のなかではない。」
語ることはできずに、示すことはできる
映画や小説という像によって美を指し示すことはできるはず
語ることができるもの、できないものの境界線を示して語ることができないものは示すことならできる!
https://scrapbox.io/files/62aaef25334c78001d40be1a.png
7:語り得ないことについては、沈黙しなければならない
これで自分自身も沈黙した
この命題が倫理的である
「倫理を語れない」って言ってるくせに
ただ、6.54を見ると
私の諸文は、私を理解する者が、それらを通じて――それらによって――それらの上へと昇ったあげく、それらがナンセンスだと認識すること、そのことを通じて解明する。(彼は、謂わば梯子を登ってしまってから、それを抛棄しなければならない。)
彼はこれらの文をのりこえなければならならず、そうすれば、彼は世界を正しく見て取る。
自身の文章が本来語れないことを語ろうとしている意味のないことをしているのを自覚していた
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