「ボーダー・ガード」
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ハヤカワ文庫SF『しあわせの理由』収録
"Border Guards", 1999
山岸真訳
あらすじ
書評
精読
本稿はハヤカワ文庫SFの第6刷(トールサイズ)に依拠する。
本作における量子力学的虚偽
本作には“量子サッカー”なる珍妙な競技が登場する。この競技はSFガジェットとして興味深いが、本作の本筋とは一切関係ない。
しかし、この競技に関する量子力学風解説の中には初歩的な誤りが存在しており、これを指摘することはイーガンが物理学の人ではないことを示す証拠のひとつとなる。意図的であるにしろ意図的でないにしろ、イーガンの作品にも科学的な誤りが含まれていることを確認することは重要である。
誤記は260頁11~12行目にある以下の記述。
かれらの動きが波動にエネルギーを注ぎ込んで、ボールがフィールド全体に薄く広がっている試合開始時の状態から、ボールを局所化するのに必要な、より高いエネルギー・モードの値域への遷移を引き起こすのだ。
特に、
ボールがフィールド全体に薄く広がっている試合開始時の状態
ここが誤り。これはSchrödingerによる波動関数を実在波とする解釈(波動関数の示す確率分布に従って、粒子の一部が波のように分散して存在するという解釈)であり、今日では完全に否定されている。
現在では、波動関数を完全な確率分布関数とみるBornの確率解釈が支持されている。
Schrödingerの解釈は棄却され、今日ではBornの確率解釈(コペンハーゲン解釈)によって量子力学は構築されている。
ここで面倒なのは、Schrödingerの解釈であろうが確率解釈であろうが、量子力学の本質的な議論以外ではどちらの立場に立ったとしても物理現象の理解に矛盾を生じないところにある。
量子力学が難しいのは、量子力学が与える描像(物体は実在せず、物体は確率的に振る舞う)が、我々が親しむ古典的描像(物体は実在し、物体は決定的に振る舞う)に完全に反することにある。しかも、量子力学的描像の方が本質的であり、古典的描像が近似的なものであることが事態に拍車をかける。
また、Einstein, Podolsky, RosenによるEPRパラドックスを解決するとき、我々が一般にもつ(素朴)実在論は否定される。この宇宙において、物質は常に実在しているわけではない。この宇宙において最も本質的なものは情報であり、情報が先行して存在し、実在する物体なるものは我々の錯覚に過ぎない。