リベラル・アイロニズム
偶然性アイロニー連隊と言う著書で打ち出された
公と私の徹底した分裂を受け入れる立場の事
公的なものと私的なものと統一する理論への要求を捨て去る
例えば、あなたが急進的な政治運動に関わることになったとしよう。その時あなたは突然自分が信じている思想や普遍的なものであり、他の人も同じ思想を信じるべきだと感じるはずである。現実に友人を勧誘しなかったとしても、できれば信念を共有したいと思っているはずだ。そういう思いがなければ、真剣な活動家だとは言えない 政治思想と言うものは、原理的に、そのような普遍性や公共性への思考を備えている
にもかかわらず、ローティはそのような普遍性への思いこそ、私的な領域に閉じ込めるべきだと主張する。それがリベラルアイロニズム。
平田く言えば革命の理念を信じても良い。カルトの神を信じても良い。ただしその思いはあくまでも自分の心の中だけにしまって、公共の場に持ち出すなと言う要請である。これはほとんど自己矛盾である。全く公共に出て行かず、1人孤独に信じる運動や宗教なるものにはそもそもほとんど意味がない。
ローテ自身もその事はわかっていて、だから、彼は自分の思想をアイロニズムと名付ける。アイロニーは皮肉と訳されるが、ここでは矛盾を矛盾と知りながら受け入れる態度を意味する。
リベラルアイロニズムは自己矛盾の上に成立する。だから、批判には弱い。実際にローテはかなり批判されているにもかかわらず、彼がその立場打ち出したのは、まさにその自己矛盾こそが、自由で民主的な世界を維持するために必要不可欠だと考えられたからである。