ハーモニー
マインドアップロードについて
わたしは逆のことを思うんです。精神は、肉体を生き延びさせるための単なる機能であり手段に過ぎないのかも、って。肉体の側がより生存に適した精神を求めて、とっかえひっかえ交換できるような世界がくれば、逆に精神、こころのほうがデッドメディアになるってことにはなりませんか。
確かに
動物たちは人間に比べてどうにも幸せそうだと思えることがある。木の枝で凍えて落ちる鳥は、惨めさを知らないと誰かが言っていた。ミァハが感じたのは人間が意識を獲得する遥か以前の脳の状態、内省や鏡写しの迷宮に入り込む前の世界だったのだろう。
作中のフーコーからの引用
権力が掌握してるのは、いまや生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間。死は存在のもっとも秘密の点。もっともプライベートな点
元来どうしようもなく未来は予想できないはずなのに、なぜか安心できてしまうのは、その対価として権力に様々な可能性を握りつぶされているからのだろうな。
「これだけ孤独だと、なんだかうきうきしてくるわね」
CTからはじまって、わたしたちのカラダが記述に置き換えられていく、その究極。これから起こることは精度の問題でしかない。常に、既に。それがWatchMeの目指すところ。だからわたしはね、そんなものをカラダに入れられる前に、本が読むものでなく自分自身になっちゃう前に、女の子のまま死のうと思ったの。このおっぱいも、おしりも、おなかも全部、本なんかじゃないって証明するために。
記述への逆張り、こういう逆張りの仕方が許されるのがSFの良さ……極端な未来を描くことで、今だったら絶対viableじゃない逆張りに説得力をもたせる。これは論文ではなかなかできない。
意識であることをやめたほうがいい。自然が生み出した継ぎ接ぎの機能に過ぎない意識であることを、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。
これだけ相互扶助のシステムがあって、これだけ生活を指示してくれるソフトウェアがあって、いろいろなものを外注しているわたしたちに、どんな意志が必要だっていうの。
15年経った今、よりいっそう刺さる。
読み終わった。とてもよかった。
etmlという仕掛け、最初から伏線(「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」という団体名含め)だし、「閉じタグが出てくる」という日本語の文章で初めて体験する感覚が我々意識を持つ者にとっても面白くてうまくできてるな……。
ラストも予想できなかった。その予想できなさが人間らしさから出てくるのもいいよね。
解説
切実なロジックを、その切実さを残したままキャラクターに喋らせると、なんとかエモーショナルになってもらえるんじゃないだろうか。そういう期待のもとに書いている部分はあります。