Arrival
とてもよかった。
なんといっても時間が折り返しになっている構成がすばらしい、そのおかげで一番よいところで映画が終わっており、映画としては完全なハッピーエンドになっている。これはメメントだけど、メメントと違って「視聴者を裏切る」以外の物語上の目的が含まれている点もよい。→時間操作 映像表現では、天井を見ているところから徐々に見下ろしていく、地平線のような場面転換構図の繰り返しが印象的。今起き上がったところという感覚を与えるのと、画面の下端から徐々に出てくる景色は、景色のほうがarriveしているようにも見える。
VFXが(一部を除いて)とても上品で美しい、イカ墨のような見た目をしてるのはもうちょっと変なやつでもよかったと思うけど。空に浮いている物体もだし、墨での意思疎通も、ガラスの壁もとても綺麗。 モノトーンで統一されているところが、洗練されつつも不気味さを感じる。エイリアンとは発声する空気も周波数も違うはずだから、音声でなく視覚言語でのコミュニケーションなのもよかったし、その文字も白地に黒だから、可視光域の波長が異なってても通じる(もちろん光を感受できるという前提はあるけど、まあそれくらいはいいと思う)。そこからモノトーンのコンセプトが出たに違いなくて、とても考えられている。
ちゃんと言語学者の意見を聞いて作ったんだろうな、徐々にコミュニケーションがとれていく様子にはとてもウキウキした。これだけ丁寧にここを描写しているSFは他に知らない。邦題の「メッセージ」も悪くなくて、宇宙人とのコミュニケーションのことかと思いきや、さらにその後自分の未来からのメッセージを読み取るという意味も含まれていることがわかる。
あとイアンがかっこよすぎ!!
2025/11/30
2025/11/10にもう一度見た。改めて見ても本当に面白い。
天井を見ているところから徐々に見下ろしていくカメラワークが多いけど、宇宙人と初めて対峙するときだけはその逆で、下から見上げるカメラワークになっている。
この宇宙人は重力を操作することができ、このシーンは重力が操作された宇宙船内で起こる。重力の感覚が混乱している主人公を表している。
しかも、「下から見上げる」は、威圧感のある自分より大きな存在に対峙するときに起こる身体動作である。その恐れも表現されている。
終盤の問いかけである「もし未来が完全にわかっていたとしても(未来のいつかに子供の病気について心ないことを言ってしまい、離婚するということがわかっていても)、イアンと交際することを選ぶか」というのは、SF的な思考実験のようで、実は毎日やっていること。いつか大切な人が死ぬことは確定しているし、いつか自分が死ぬことも、どんどん老いていってできること・行ける場所が減っていくことも確定している。でも我々は生き続けたり、何かに愛着を持ったり、コミットメントを持ったりしている。(仏教思想のゼロポイント的にはそれは唾棄すべきことなのだろうが。) 未来には確定していることとしていないことがあって、確定していないからこそ希望を持てると思いがちだが、確定していることを受け入れて大切にするのも大事なのかもなと思う。歳を重ねるごとに確定していないことは減ってくる。確定したことをcherishするマインドは、主人公から見習っていきたい。
いろいろ取りこぼしていた
ルイーズが選択したのは、娘との短い関わりではない。
この映画のラストは、ルイーズの部屋の天井から窓へ。その時流れる音楽は、On the nature of daylight …(イラク戦争に影響を受けて作った曲であり、同じ旋律を延々と繰り返すことでも、この映画のこのシーンにふさわしい)
このラストはまさにこの映画の始まりのシーン。映画は終わるかに見えて、また始まる。そして永遠にループし続ける。冒頭で亡くなったハンナにルイーズが何度も「私のところに帰ってきて…」と呼びかける。その言葉通り、ハンナは彼女のところに帰ってくるのだ。「これはあなたの人生の物語」ルイーズはまた最初からこの物語をたどる。そうすれば何度でも娘に会うことができるから。母親の心の中で、娘は永遠に生き続ける…
「メッセージ」という邦題もストレートでわかりやすい。原題はarrival(到着) この文字を見ると、空港の到着ロビーを思うので、私の中では「来ると分かっている人を待っている」イメージだ。ルイーズが到着を待ちわびているのは、あの黒い宇宙船ではなく、ハンナだろうと思う。
確かに、宇宙人を待っているだけではなく、来るべきすべての未来を待っているのか……!
良すぎたからさすがに原作読むか。