2025/10/13
#日記
タイムライン vs. トポグラフィに関するリサーチを経て、今改めて思っていることを書き散らしてみる。
タイムライン的なUIとトポグラフィ的なUI自体は間違いなくあると思う。
それを認知科学の枠組みからいろいろ言おうとするとちょっと複雑なので、整理したい。
「意識」と「認知プロセス」は別なので、例えばmemory retrievalを拡張しようという話は「認知プロセス」を拡張しようという話であり、それがトポグラフィ的であることは何の問題もない
オットーのノートの思考実験も、物理的なものを使ってやっていたわけだし
メンタルローテーションをサポートするために物理的なものを拝借するのはまさしくトポグラフィ的
でも「意識の流れ」が1本線なのは間違いないと思う。「何かを思い浮かべる」ときも、複数の思考スレッドが同時に走ることはできない。りんごとバナナを思い浮かべようと思うと、「りんごとバナナが並んでいるところを思い浮かべる」という一つのタスクになってしまう。どうしても別々のスレッドにしようと思うとスイッチングになり、1本の意識があちらこちらに行くような感じになる。(これを明確に言った文献が今のところ見つかっていないから困っているんだけど)
Stream of consciousnessは、1本であるということよりは連続的であるということに主眼が置かれているようだった。
タイムラインの性質
タイムラインUIには、ログとしてのものとキューとしてのものがある
ログとしてのものの中に、外部のログと自分のログがある
自分のログとしてのタイムライン
これは意識タイムライン(の外部記憶)といって差し支えないと思う。オットーの思考実験でいう「一度信じたことがあるもの」。
これは何をサポートしているんだ?
iOSのアプリスイッチャーは、思考のログを示すためというよりはワーキングメモリにある複数のコンテキストをちゃんとスイッチするためのものだな。
でも「思い出す」ということ自体が一種のコンテキストスイッチといえるかもしれない。
でもやっぱり、ワーキングメモリにある複数のコンテキストをちゃんとスイッチするために、どんなメタファを使うかが違っている。Macでは物理的な空間のメタファが、iOSでは時間のメタファが使われている。
〇〇のためにメタファを使う、というのがすべての場面で言える場合、空間的メタファと時間的メタファの向き不向きを言えるかもしれない
それが意識プロセスの延長である場合、時間的メタファが向いている。例えばコンテキストスイッチ、Chain of thoughtなど。なぜなら管理する必要がないから。
それが別の認知プロセスまたは外部のものである場合、空間的メタファが向いている(※外部のものが時間的である場合を除く)。
キューとしてのタイムライン
自分が次に意識を向けるべき対象を示す
Pileをキューとして使うのと全く同じ!
AIにトポグラフィをタイムラインにしてもらったり、Todoリストを作ってもらったりするのは、キューとしてのタイムラインに変換してもらっている
外部のログとしてのタイムライン
これに関して言えることはあまりない
でも、外部のログに自分が手を加えることはできる(i.e. チャットでメッセージを送る、ツイートする)。
特に、タイムラインの結合度が高い場合には、意識タイムラインからの丁寧な変換が必要になる。
でもGitHubのPRは「外部のログとしてのタイムライン」だから、やっぱりこれに関しても何かしら言わないといけないな
意識タイムラインに近いかどうかを「意識類似度」と読んでみることにする。意識類似度が高くなる条件は……
時系列に並ぶ(前提。タイムラインでないと意識類似度はほぼない)
過去になるほど重要度が下がる
トピックがバラバラ or 一本線のように連続している(入れ子や木構造にならない)(=ナラティブ的)
トポグラフィの性質
ナラティブとタイムラインの関係
ちょっとドラマチックに書いてみる
これまで存在していたeveryday objectは、基本的には人間の意識によって「使われる」ものであった。意識が、自分の中に流れるstream of thoughtの中で、随時意味を見出す対象。
しかしコンピュータは、それまでのどの道具とも異なり、意識プロセスそのものを可視化したり介入したりすることができる。
例えば「アプリを切り替える」「Spaceを切り替える」ことが、自分の意識の状態を反映する
でも前から環境を変えることで気分を切り替えるとかあったじゃん
でも真に内的状態を反映したい、できるかもしれないという発想はなかった。簡単であり速いことによって、常に内的状態が反映される(されうる)状態になった
またタイムラインという「意識のキュー」が、次に意識を向けるべき対象を示す
でもすぐにやめたりとか別のことを意識したりとかできるじゃん
やめられないのがドーパミン中毒
この論文で言わないといけないことは、間違いなくDesign Implicationであり、AIが2つの間を楽にしてくれるということであるので、認知的な枠組みは議論の補強でしかない。
でも「意識タイムラインへの近さ」というものが、これらのUIを分類するための大きな手がかりになるので、これが存在することを表すのは大事だった。で、存在しそう。
「意識タイムラインに近いもの・遠いもの」を、人間がどう使っているかということを言うべきではある。サラッとめで
恐らくコアは、「注意をどこに向けるか?を外部に移譲できる」ということなんだよな。できれば、次に注意を向けるべき対象をどうやって決めているかに関して認知的な枠組みがあるといい。
Paul Dourish的に言うなら
包括的なレビュー論文ではなく、この軸が存在するということを指摘し、概念を整理してDesign Implicationを提供するもの
Korper and Leib的な感じで、どういう機会が眠っているかを言うことになるのかな
実験がないと不安だ……
ケーススタディとして評価実験を何かしらやりたいけど下手にやるとない方がマシになりそう & そのケースspecificな議論だと思われてしまいそう
まあないと話にならないと言われたらやるだけか、それを示す実験とか調査をやった上でまとめとしてこの論文を出すことになるだろう
とりあえず、認知的な枠組み部分のサーベイは結構できたと思うので、ここまでで考えた意識類似度・タイムラインの結合度・ログ/キューとしてのUIの話を踏まえて新しい構成を考えよう。あとは事例分析とサーベイをどうやるか考えよう。