2024/09/23
言語そのまんまUIは、言語によって主語・目的語などオブジェクト同士の複雑な関係を表現しつつ、入力に制約を設けることで言語特有のコミュニケーションの曖昧さを減らし、また自由度を減らしている 言語は抽象的
だから、「てにをは」を用いて複雑な関係を表現できる
言語は曖昧
だから、何度もやり取りを通して指示内容のすり合わせをしなければならない
言語は圧倒的に柔軟
だから、相手から何が返ってくるか想像できない
言語は大脳を消費する
だから、言語的タスクは小脳に委譲できない。言語を使って自分のタスクを効率化しようと思うと、「同じく言語を解する他者の大脳」に委譲するという方策になる
(複雑な関係性を表す語彙を使わなくて良くなるので口語的にできる、3つの別々のタスクではなく1つの文章を組み立てている感覚になるので見かけのタスク数を減らせる、情景を浮かばせられる、などもありそう)
「やっぱやめる」ボタンは、「キャンセル」ボタンより前のステップとのつながりを感じさせられる
言語そのまんまUIは、あくまで通常のオブジェクト指向UIでありながら、複雑な指示関係が必要になる要所にのみ言語らしさを持ち込んでいる折衷案。上記のポイント1のみを使っている。
実はユーザのアウトプットは(文法を持たないという意味で)言語ではない。聞かれたことをただ名詞として入力していくだけ。曖昧性、柔軟性、文章を構築するという大脳の機能をまったく使わない。
言語らしさのグラデーションの中で、シンプルかつ繰り返し行う行為はMuscle memoryとなり小脳タスクにするべき。一方複雑でたまにしか行わない行為は言語によって伝達すべき。これまではUIによる最低限のフレームを取り払う方法はなかったが、ChatGPTは複雑性の扉を開いた。
「UIは言語なのか?」
一方、複雑で言語を使わないと取り扱えないと思っていたことが、意外とデザイナーの考え方次第でより小脳寄りのタスクにできる、ということもある。CUI→GUIの進歩はこの一つで、これのおかげでMuscle memoryでSpotifyを開けるようになった。
職場のコミュニケーションの工夫でもこれがありうる。「このボックスにものを入れておけば、秘書さんによって適切な処理がなされてまたここに戻ってくる」といったように。
実は機械化されていないさまざまなサービスがこれを使っている。ポストに入れると回収される。外部化されたシステムが、共通のメンタルモデルをサービス利用者と提供者に強要し、コミュニケーションを減らす。
AIについても、うまい切り出し方を見つければメンタルモデルネゴシエーションを避けられる。議事録AI、自動運転カー。言語野の負荷を究極まで下げていくと、現状はやはり小脳の活用に行き着く。
考えただけで物事が起こる、というBMIの世界に行くまでは。
ChatGPTは完全に自由な言語でのコミュニケーションが必要になるUIなので、ユーザの語彙定義力、議論の整理力が求められる。よくやる行為についてはシステムにしたほうがいい。
もしくは、完全に経験を共有したAIとであれば、曖昧さなく言語で指示を一意に定められるのかも。それが生涯の伴侶、「右腕」的なこと。
右腕っていう表現、他人を他者じゃなくて自分の一部とみなすメタファが使われていて面白いね
でもやっぱり自分は、自分の一部になりうる面白いオブジェクト/ツールとしての計算機資源という見方が好きなのでそっちも進歩してほしいな〜