身体へ向かう道/言語へ向かう道
基本的なことだけどあまり整理できてなかったこと
個人の生産性が上がるとき、その方策には2種類あって
①大脳の認知タスクを小脳に委譲する
②大脳の認知タスクを他人(コンピュータ含む)の大脳に委譲する
①をやってきたのが(筆、自転車など)→GUI→タッチスクリーン→VR/BCIの系譜
②をやってきたのが(文字体系、上司/部下システムなど)→自動化、プログラミング→チャットボットの系譜だねえ
①は身体へ向かう道、②は論理と言語に向かう道
最終的に個人を超えてスケールするのは②、でも個人の自由とコントロールと幸せを増幅するのは①
①は「その人自身」が増強され、②は「周りの事物を含めたその人周辺の系 or 社会」が増強される
①はサイボーグで②はPSYCHO-PASS
暦本先生は「直接操作(①)はもう大体解決してエージェントへの移譲(②)がこれからのHCIコミュニティの課題」って言ってるけど、実際今のところ全然ぼくはサイボーグになれてないからもっとできることあるんじゃないかと思うな
自分は②も好きだけどどちらかというと①にワクワクするかも
適当に小脳って言葉を使ってるけど、直接操作のUIを使ってるとき小脳がどうなってるのか?とかめちゃ知りたいしいい研究テーマになりそう
自分の中では、言語を介すかどうかが自他の境界かもしれない
自分とは言語によるコミュニケーションがいらない。他者とは言語によるコミュニケーションが必要
LLMは言語で指示しないといけないので他者で、iPhoneは言語を使わずに思い通りになるしもべなので自分の一部
そもそも言語を介すということ自体が、一定の「思い通りにならなさ」を含んでいる(誤読の可能性、エクリチュール)
脳内で思い返す過去の自分は自分だけど、日記を読んだとき語りかけてくる自分はもはや自分でない
Infinite craftはどっち?