メタファーと意味の構造性: プライマリー・メタファーおよびイメージ・スキーマとの関連から
#ルーズリーフ
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/5933/files/KU-1100-20020000-00.pdf
感想
面白い事例をいっぱい集めてきている。
https://gyazo.com/b59114e3586bc88ad816635f465a210b
それをどうやって集めたとか、網羅的かとかは特になく、キレのある事例を集めてきて例示するスタイル。これが本だからなのか、いわゆる論文はだいたいこうなのか気になる
メタファー が興味深い理由はいくつか挙げられる。第1に,思考と言語に関するユニー クな研究例を提示できること。メタファーは古くから言葉の彩と捉えられて きたが, Lakoffand Johnson (1980)以降,思考あるいは認知の機構であるこ とが主張されている。その意味で,メトニミーなどと並ぴ,思考と言語の関 係を研究するには絶好の対象であろう。第2に,類型論的興味がある。近年 類型論に対する関心 (Cienki1998, Croft 2002など)が高まっているが,メ タファーには,文化的なものと普遍的なものがあり,身体性と環境の立場か ら,何が普遍的で何が文化固有かを検討する格好の材料となり得る。
https://gyazo.com/492deab9aafcb73811e7049d182bff26
なお,「ゲシュタルト性」とは,特定の概念や知識はグループをなしてお り,全体の想起なしに一部だけ想起できないという意味で使用している。例えば, Langacker(1987)に指摘されるように,英語のarcで示される概念 は,必ず,circleの概念を前提とする。また,spolieという語で示される概念 は,必ずtireという語で示される概念を前提としている,ということである。 また,「局所性」とは,人間の知識の想起には容量的な限界があり,一時 に想起される知識には制限がある,という意味で使用する。例えば, spoke という用語からtireやbicycleまでは同時に想起できても,自転車に乗って サイクリングしている状況や,製造工場でspokeとtireを組み上げ,自転車 を生産している状況までは一度に想起できないであろう。
アナロジーとメタファーの違い
例えば, ラジオが既に存在し,テレビがこれから始まろうとしていた時代, テレビの制作者や利用者の間では, ラジオに関する知識がテレビの理解に利 用きれていたことは想像に難くない。例えば,放送局はどれくらい作ればよ いか,受信機はどれくらい売れるか,運営の資金はスポンサーを募ってコ マーシャル収入から得ればいい,などである。このようにラジオとテレビに は構造的な平行性が見られるが,一般には比愉とは呼ばれないと考えられる。
かつて, アメリカがハイウェイネットワークを築いたように,情報ネット ワークをつくろう,大きな幹線道路のように太い光ファイバーを通して, と いうのは,ゴア前副大統領が中心となって提唱したインフォメーション. スーパー・ハイウェイ構想であるが, ここには明らかに比|楡が用いられてい る。地域間を結ぶネットワークである点,その中を車や情報が通っていく点 など,構造的並行性があると思われるため,構造的なメタファーの例といえ よう。それでは,比嶮性が感じられないラジオとテレビの例とはどう異なるのか。さらに,情報の流れをモノの流れと見立てるこのメタファーは非常に 自然で,その意味で比嶮らしさは低いと思われる。ここで確認しておきたい のは, 2点である。すなわち, インフォメーション,スーパー・ハイウェイ の例が比嶮と感じられ, ラジオとテレビの例が比嶮と感じられないこと,そ して,比嶮にも比||耐らしさの度合いがありそうだ, という点である。
タリバンの残党を新政権に参画させることは,ナチの残党をドイツの戦後 の政権に参加させることと同じだ(そのようなことは許さない),という趣 旨のアメリカ国防長官の発言があった。この場合の写像は次のようになる。
https://gyazo.com/3e5527b4b1a492451f788e74651da93f
これはアナロジーであるが,多少の比喩性が感じられる。それぞれのフレー ムは国家,政権,戦後の政治,という点で全く同様である。それではどうし て比喩性が感じられるのか。考えられる理由は2つある。ひとつはナチスド イツとタリバンという時代も場所も違う例であること。もうひとつは,ナチ という悪評の定まったフレームをアナロジーとして使うことにより,タリバ ンに新しい見方を付加していることである。いずれにせよ,領域間の異質性 がメタファー性に重要な役割を果たしている(II)ことは疑いなかろう。
異質な認知的空間の間でやり取りが起こることがメタファであり、そうでない場合は単純なアナロジー。これは納得だ
例えば「SlackのHuddleはDiscordのようだ」はつまらないが、このつまらなさの原因がわかる
構造が似ている・カテゴリーが異質という条件に加え、情緒的に類似しているという条件がある説
楠見 (1990b, 1992)では, (29)のような例を挙げ,情紹.感覚的意味 の共有度 (affectivesimilarity)をカテゴリー的異質性とともにメタファーの 2つの重要な要因としている。
(29)微笑はさざなみである
詳細は省くが,この場合,意味微分法を用いて「微笑」と「さざなみ」を分 析すると,評価性および活動性・カ量性の2点で位置付けが似ている。すな わち,「微笑」と「さざなみ」はどちらも評価的にやや十の価値をふくんで おり,運動の激しさとして穏やかである,ということである。そしてこのよ うな感覚レベルの印象の類似性の積み重ねによって,領域の異なる二者の間 に「似ている」という印象が生まれる。これがメタファーである,というわ けである。
広告で(30)のような表現を見かけた。
(30)便秘と宿便,おナカのヘドロをとりましょう
宿便とヘドロの間には,もちろん,固形物/流動物であるという類似性が存 在する。しかし,両者の量は違うし,何より語られるコンテクストが全く異 なる。胃と湾を容器とみなした構造性がある,との説明も不可能ではないが, なんといってもこの二つを結ぶ発話の中心は,汚い!いやだ!という情緒的 類似性であろう。
プライマリーメタファー
Theories Are Buildingsを(50)の1.II.という二つのメタファーに分解し, これらにプライマリー・メタファーという新しいステータスを与え,Theories AreBuildingsはこれら二つのプライマリー・メタファーの合成とその具現化 として結果的に発生する, という考え方である。
(50) Theories Are Buildingsを構成する二つのプライマリー・メタファー
I. OrganizationlsPhysicalStructure(組織は物理的な構造体であ る)
II. ViabilitylsErectness (生存していることは直立していること である)('2)
でもいろいろな批判がある
メタファをどこまで抽象化して捉えればプライマリーメタファーとして適切なのかわからないため、事例を集めようにも分類が難しい
例えば,0rganizationの中に,理論も結婚も入る, というのは,あまりにもOrganization(組 織) という語の意味に依存しすぎているように思われる。Viabililyという用 語にしても生命体の実際の生存から抽象的実体の存続まで,その意味すると ころがI幅広く捉えにくい。これによってデータがそのメタファーのデータで あるのかどうか,判断がしにくくなるという傾向も生まれる。
共起性を基盤にしておらず、ただのカテゴリ関係であるようなものもプライマリーメタファーとして扱われてしまっている
VabilitylsErectness, HappineSslsBrightness(幸せは明るいことである),AfirectionlsWarmth(愛 情は暖かさである)などのメタファーは確かに共起性を基雛にしていると考 えられるが,DifficultylsHeaviness (困難は重いことである)やDesirels Hunger (欲求は空腹である)は,Hunger is a type of desire. と言い換えが できることからカテゴリー関係となってしまっている。これゆえ,メタファー の定式を満たしていても, (56a)はメタファーであるが(56b)はメタファー ではない。
(56)a・ I am hungry for adventure.
b. I am hungry for hambuiger.
空腹以外の欲望をHungerで表すときにメタファーとなり得る, という事実 を無視した定式化である。 さらに,OIganization ls Physical Strutureをとってみると,これは,OrganizationをAbstract Strucutre('3)と置き換えても同じと考えられるが,そうす るとStrucutreという概念が物理領域から抽象領域に展開しただけのものと なる。これは, PARTS-WHOIEというイメージ・スキーマが物理領域から抽 象領域に展開したものと考えるほうが合理的ではないか。
すべてのメタファーは特別なステータスを持った少数で均質なプライマリーメタファーに分解できる、という還元主義的な捉え方は、認知の実際にそぐわない可能性が高い