ビジュアル・シンカーの脳
日本で二〇一五年に行なわれた研究では、視覚思考と言語思考に関連する脳の活動を調べた。神戸大学の西村和雄教授の研究グループは、有名な寺、星占いの十二星座と私的な会話の三つを被験者に交互に思い出してもらい、それにともなう神経系の活動を測定した。その結果、「個人の視覚心像〕の主観的な『鮮明度』と視覚領域の活動に大きな相関関係がある」ことがわかる。測定しているあいだ、視覚思考者はイメージを思い浮かべ、言語思考者は独り言を頼りにしていることが、脳磁図(MEG)から明らかになった。
心理学者のガブリエラ・コッペノル=ゴンザレスも、子どものコミュニケーションの主要な手段として言語が優勢になるようすを追跡したところ、子どもは、五歳になるまでは視覚的短期記憶に大きく依存していることがわかった。六歳から十歳までのあいだに、だんだん言語で処理するようになり、十歳以降はおとなと同様に言語的短期記憶に依存する。脳の言語システムと視覚システムが発達するにつれ、言語思考に向かうのだ。しかし、おとなの短期記憶については、だれもが最初にもっぱら言語で情報を処理するわけではないという研究報告もある。
記憶は学習にも関係するが、デンバーの高度発達研究所の心理学者リンダ・シルヴァーマンは、学習スタイルの相違について発表したときに、書類をファイルにとじてキャビネットにきちんと並べる人と、書類の山に囲まれている人を比較した。「ファイルする人(きちんとした人)」と「積み上げる人(だらしない人)」。みなさんは自分がどちらのタイプかわかっているだろう。そこから自分の思考法について何がわかるのだろうか。
書類をファイルしない人にきちんと整理させたら、何も見つけられなくなってしまうとシルヴァーマンは述べているが、これは図星だ。彼らは、整理しなくても何がどこにあるのか、ちゃんとわかっている。「だらしない状態」は組織化されていて、それを頭の中で見ているのだ。つまり視覚思考である。
IKEAの創業者はディスレクシアだったので、説明書が図だけで構成されているらしい。 家具の組み立てはさておき、視覚思考かどうかを調べる脳画像検査は今のところないが、リンダ・ シルヴァーマンの研究グループが数年かけて開発した「視覚空間型思考判定テスト」は「聴覚連続型」思考者(言語で考える人)と「視覚空間型」思考者(絵で考える人)を見分けるのにとても役に立つ。自分がこのスペクトラムのどこに当てはまるのか関心がある人は、次ページの「視覚空間型思考判定テスト」の十八の質問に「はい」か「いいえ」で答えてみよう。
どうやって開発したの!?
2002なんだ。かなり昔からあるんだね
Over a period of nine years, a multi-disciplinary team created the Visual-Spatial Identifier—a simple, 15-item checklist to help parents and teachers find these children. There are two forms of the Identifier: a self-rating questionnaire and an observer form, which is completed by parents or teachers. The Visual-Spatial Identifier has been translated into Spanish. With the help of two grants from the Morris S. Smith Foundation, the two instruments have been validated on 750 fourth, fifth and sixth graders. In this research, one-third of the school population emerged as strongly visual-spatial. An additional 30% showed a slight preference for the visualspatial learning style. Only 23% were strongly auditory-sequential. This suggests that a substantial percentage of the school population would learn better using visual-spatial methods
これにはどうやって開発したか書かれていないので、おそらくこの本を見ないといけない
さて、視覚記憶の調査は、回答者に自宅やペットの説明をしてもらうことから始めた。すると、ほぼ全員が目に見える特徴で説明した。トースターやアイスクリームのようなありふれた物を説明してもらったときにも、同じような結果が出た。回答者は物を思い浮かべて説明するのに何の苦労もしなかった。とすると、全員が視覚思考者なのだろうか。いや、こうした対象物はなじみがあるから詳細に思い出せるのかもしれない。
わった。 そこで、説明の対象を変えて、知ってはいるけれど、必ずしも毎日の生活で見かけるわけではない物にした。そのころ、ちょうど町の教会のそばを通ったときに尖塔が目にとまった。尖塔はだれでも知っていて、ときたま見るだろうが、生活の中で大きな存在ではない。教会に通っている人でも、とくに気にすることはないかもしれない。聖職者でも、自分の教会の尖塔をほとんど気にかけていない人がいた。そこで、調査した人びとに教会の尖塔を思い出してもらうと、結果は大きく変
回答者は必ず三つのタイプのどれかに当てはまった。まず、特定の尖塔の説明をして、実際にある教会の名をいくつかあげるタイプ。頭の中に描かれた絵には曖昧なところや抽象的なところがまったくない。写真かリアルな絵を眺めているようなものだった。尖塔がそのくらいはっきり見えるのだ。こうした人は視覚思考者といえる。次に、Vを逆さにしたような線が二本ぼんやりと見えるタイプ。まるで木炭でざっとスケッチしたみたいで、ちっとも明確でない。一般に、こういう人は言語思考者だ。回答がこの両極端のあいだに当てはまる人もけっこういた。ニューイングランド様
式のどこにでもあるような教会の尖塔が見えると答えた人は、これまでに見たことのある教会の尖係や、本で読んだり映画で見たりした尖塔を思い浮かべているのだ。こういう人は視覚・言語思考トの中央に行くはまり、言語思考と思考の混合タイプだ。
もう一つ、視覚思考者を見つけるために長年行なってきた非公式の実験では、私がよく講演をする二つの異質なグループを対象にした。小学生と教師だ。それぞれのグループに、牛が食肉加工工場の通路から出て行く写真を見せた。牛は床を照らす明るい日光を見つめている。写真には、「すべらない床が重要」という説明文がある。牛が日光を見つめているのを見た人は何人いるだろうか。手をあげてもらったところ、結果は一貫して同じだった。小学生では半分が手をあげた。写真をよく見ていたので、視覚思考タイプと考えられる。教師で手をあげた人はほとんどいない。教師は説明文にのみ注目したので、言語思考タイプと考えられる。
これは本当に測れているのだろうか
さらにくわしいことが解明されたスキャンは、ピッツバーグ大学でウォルター・シュナイダーが行ない、彼が開発した拡散テンソル画像法(DTI)と呼ばれる新しい技術が使われた。画像法の研究は国防省が出資し、脳に損傷を受けた兵士を診断するために高解像神経繊維解析装置を開発するのが目的だった。脳のさまざまな部位間で情報を伝達する神経の束を画像にするこの技術のおかげで、当時のほかの装置より鮮明な画像が得られ、神経繊維がつながっているのか、交差しているだけなのか区別できるようになった。私の画像を見ると、発話の回路は対照群とくらべて小さかった。 それで子どものころに話しはじめるのが遅かったのだ。ところが、脳の奥の視覚野から前頭葉までをつなぐ視覚の回路はとてつもなく大きく、なんと対照群の四倍。私が視覚思考者であるまぎれもない証拠だ。
そもそも脳の作りが違うなら話は早いんだが
脳の研究は進んでいるものの、視覚のファイルがどうやって作成首れ、保存され、アクセスされるのかといった情報はまだ十分ではない。視覚と心に浮かぶイメージは脳の同じ部位をいくつも使っているが、両者はまったく異なる神経の作用によるものであることがわかっている。平たく言うと、生理学のハードウェアがどう作動するのかわかっていても、ソフトウェアについてはわからないのだ。
むしろわからないことがある方がありがたくはある。研究は難しくなるけど
中国重慶の西南大学で、創造性の基本的な認知メカニズムを研究するクンリン・チェンのグループは二〇一九年に、五百二人の被験者に四つの課題を与えた。課題は、おもちゃのゾウをもっと楽しくなるように改良する、十の図形を描く、空き缶の利用法を考える、不明瞭な像を見て浮かんだアイデアを書き並べるというものだ。MRIの画像では、課題を簡単にこなした視覚思考者では脳の右側に活性化が集中し、一方、課題に苦労した言語思考者では、脳の左側で活性化が大きく見られた。
この研究結果は右脳・左脳思考として話題を集めた。右脳は創造性をつかさどり、左脳は言語と組織化をつかさどる。ノーベル生理学・医学賞を受賞した神経心理学者のロジャー・スペリーは左脳思考の偏重に気づき、「知性の非言語的な形態が軽視される」傾向があることを認めた。
この話も関係するのか。なんか怪しくて擦られすぎてる言説が多いな。本来はどういう主張だったのか見に行かないといけない。
コジェヴニコフは、ハーバード大学医学大学院の講師およびマサチューセッツ総合病院の視覚・ 空間認識研究所の研究員で、視覚思考者を物体視覚思考者と空間視覚思考者の二種類に分けた科学者の先駆けだ。二〇〇二年に「視覚思考者・言語思考者認知形式質問表」とスキルテストを開発し、 この質問表を使って、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の大学生十七人が高度な視覚思考者であることをつきとめた。この中の折り紙テストでは、折りたたまれた紙に穴を一つあけた図があり、 被験者は、紙を広げたときに紙がどんなふうに見えるか――複数の穴がどこにできているか――空間的な推論をして五つの図のうち正しいものを選ぶ。
(略)
物体視覚思考と空間視覚思考の相違はとても重要なのに、思考に関する脳の研究ではつねに、ほとんど見過ごされている。物体視覚思考と機械を扱う能力を結びつけた科学文献は、コジェヴニコフの研究以外、ほとんど見つからない。
絶対にこれをどうやって作ったのか調べる
物体視覚思考、空間視覚思考、言語思考の三種類の思考の相違を明らかにするパズルのピースがもう一つはまったのは、マリア・コジェヴニコフと同僚のオレシア・ブラジェンコーヴァの珠玉の研究論文を見つけたときだ。二〇一六年に発表されたこの研究は、脳画像も対照群も調査も質問表も使わない。美術、理科、語学のどれか一つが得意な中学生と高校生を科目ごとに六人から八人のグループにして、それぞれに未知の惑星の絵を描かせ、研究の目的を知らされていない専門家が作品を評価した。
美術の得意な生徒(物体視覚思考タイプ)は、色あざやかでファンタスティックな三つの惑星を描いた。一つは正方形で、ピラミッドからペンギンまで世界中の風物が所せましと描かれている。もう一つはユニークな結晶体の惑星で、三つ目はファンタスティックなビルが突き出ている。理科の得意な生徒(空間視覚思考タイプ)は自分たちの描く惑星に明確なコンセプトをもち、惑星は球体で色がなく、どちらかというとよくあるタイプだった。語学の得意な生徒(言語思考タイプ)が描いた惑星は想像力に欠け、点描の抽象画のように見えた。絵に書き添えていた言葉を塗りつぶしたのは、 文字を使ってはいけないと考えたからだ(言語思考者には規則を守る人が多い)。
コジェヴニコフとブラジェンコーヴァは研究をさらに一歩先に進め、生徒たちが惑星を描くときにアイデアを展開した方法を調べた。美術と理科の生徒はどちらも最初に「中心になる独創的なアイデア」を展開した。美術の生徒は、惑星の外観を話し合い、 徒は、惑星の外観を話し合い、理科の生徒は、惑星の重力や化学的性質、生物の種類など構成要素を話し合った。語学の生徒は描いた惑星に名前をつけたが、制作にあたって練った構想を説明できなかった。生徒たちが制作に取り組み、作品の説明をした三種類の方法は、本書で語る三つの思考スタイルと一致する。
アファンタジアとハイパーファンタジア
視覚思考のスペクトラムの両端にいるのは、アファンタジアとハイパーファンタジアと言われる人たちだ。アファンタジアの人は視覚的なイメージをまったく、あるいはほとんど描けず、ハイパーファンタジアの人は逆にイメージが過剰だ。
アファンタジアという言葉を最初に考案したのは、アダム・ゼーマンというイギリスのエクセタ ―大学の神経学者だ。ある男性が、視覚記憶の能力をすべて失ったと訴えた。友人や家族、場所のイメージがもう思い浮かばないと言うのだ。木の葉と松の葉のどちらの緑色が明るいかと問われても、記憶を頼りに答えることはできるが、頭の中ではその違いをイメージできない。男性は患者M・ Xという名で有名になる。物は見えるのに、見たものを意味付けて理解することができない精神盲の症状は、おそらく脳卒中の後遺症だったのだろう。脳卒中になるまでは、まわりの人びとや物を鮮明に思い描くことができた。ところが、脳卒中後、機能的MRIの画像では、何かを思い浮かべるようにと言われたときに視覚化をつかさどる脳の部位が「明るく」活性化しなかったのだ。
「視覚イメージ鮮明度質問紙(VVIQ)」というものがあるらしい。
韓国の慶熙大学のチョ・ジョンとシンシナティ大学のジョリ・スーは、数学的な空間視覚思考がインテリア・デザインに及ぼす効果を測定して、その影響を評価したのだが、結果として物体視覚思考のスキルも同時に評価することとなった。インテリア・デザインを専攻する学生は、最初に空間視覚思考を評価するテストを受けた。次に、廃材を使った日除けを3Dでデザインする。デザインを判定するのは外部の審査員団。物体視覚思考者は、抽象的な数学的空間視覚思考のテストでは点数が低かったが、デザインのコンテストで楽勝した。空間視覚思考が欠如していても、優秀なデザインを生み出す能力には何の影響もなかったのだ。結果はまさに、これまで私が取引先のどこの溶接工場や建築会社でも目撃してきたことを確証している。
手続き的 vs. 宣言的とどういう関係にあるのかとても気になる。視覚思考者は、手順とその結果を詳細に思い浮かべられるから手続き的な言語に耐性があるのか、それとも視覚と同じように全体を見て把握する宣言的なほうに適性を持つのか? 視覚思考者は言葉でたとえるのが苦手だが、頭は視覚的なたとえ製造機みたいなものだ。視覚思考とは、レントゲンの視覚をもっているようなものなのかと尋ねられることがあるが、そうではない。視覚思考とは、連想するイメージを「視覚記憶のファイル」から見つけだし、さまざまな方法でそのイメージにアクセスして、問題を解決したり、世間を渡ったり、まわりの世界を解釈したりする能力だ。視覚思考者のスキルは必ずしも視覚思考と結びつけられたりしない。手先が器用だとか、コンピューターが得意だとか、暗算ができるなどと言われる。物体・空間どちらの視覚思考者も、それぞれ問題解決の能力をもっているが、視覚思考によるものだとは一般的に思われない。