SNSから遠く離れて
実際、アカウントを消去したわけなので、twitterで何が怒っているかわからない
誤字(起こっているか)
誤字じゃねえな
「これだよ、これ。これを求めていたんだ」って思ってしまう正直者な自分
じゃあなんで今までSNSをやっていたの?って点を注視してしっかり自己を「批評」すべきだと思う
このプロジェクトにおける前回の話
例えば、R-StyleやWRMを読んで、それをSNSに感想投下するのももちろんアリで
それが非常にしにくい(SNSやってないから出来ない)というのは、不自由を感じる
しかし、らした氏の文章を読んで、こうやって抜き書きを集中的にする(時間が持てている、余裕が持てている)というのは、良い傾向だと思う
おれはあなたの文章を読んでいるのだ、ということをどうやって伝えられるだろうか
おれはあなたの思考に触れ、何かをしたく、動きたいのだ、ということをどうやって伝えられるのだろうか
説得力をもっての形で
それは、間違いない。自分が自分の知的生産をすることで---ブログ記事応答だけでない、あらゆる形でのーーーはじめて、成り立つものだ
あそこの岸辺に人がいますね。ぬばたまの黒き闇夜の海原を征くこの舟からでは、会話は出来ないけれども、あなたの光は届いています
自分の生活の中に、花を活けるように詩情(ポエジー)をあたえる
山下泰平「簡易生活のすすめ」
この本、明治大正時代のライフハックについての本なのですが、本当によかった。
本書ラストに収録「花をつくってみたくなりました」
明治時代に、単身、のんきな園芸記事でもって日露戦争に叛逆した園芸家(そして賛同者)の話
絶対、自分はのんきで在り続けるぞ。コロナウィルス神経社会に対するこれが自分の叛逆だ
そして市井の人間として「叛逆の仕事術」だ。知性も重要だが、神経社会に対するタフネス体力も重要すぎる。いや、みんな、この「社会閉塞にヤられない」タフネスというものを、甘くみすぎている。わたしでさえ、知でもってきちんと対応していれば大丈夫だった、としていたのが2週間前だった。
違う。タフネス(精神、こころ)は、また違うんだ。知だけではないんだ
同時に、社会から距離をおく。キャンプをする。来週月曜日から火曜日
つまり、SNSとは当たり前だが「社会」なのである。世間。人間(じんかん)と書いてニンゲンと読むのですね
SNSは疲れる、というのは社会は疲れる、というのと同語である
社会は疲れる、というのは、人間(の間)における「何」につかれているのか、うんざりしているのか、ということと同じ
俗世の穢れ、を正確に把握する
そうだ、それが「SNSをなんでいままでやっていたん?」に対する正確な批評であり、答えなのだ