外国語と辞書の話
去年から外国語が趣味になった。
「言語レイル・アムリラート」
(自分の言語系、レアリテ(各地風土情報、風物知識、言語外現実)についてのプロジェクト)
ところでgoogle翻訳は便利。ぱっと語義を出す分においては。
HTMLのコードで「あれ、なんだったっけ」をサラっとネットコピペで拾ってくる感じと似ている
wysiwyg感
しかしこれのやばみは、ピンポイントで語義が出る、ということにある。語義とは常に多重である。最近、これのヤバさ、特に英語におけるヤバさを思い知っている
つまり、英語とは、単語でなりたっていない。
英語は、「句」でなりたっている。以下、句動詞の話
例えば、
I made a cake.
なんの変哲もない文章である。でも、もっと正確に、ニュアンスを入れたい、とする。
I made up the cake.
ケーキ、作りなおしたんだよ
(ツッコミ)おい、前に何を作った、なにをした、食えるものなのか
「整える」のニュアンスがある。make up
ここでtheになってるのに注目。つまり「その(既知の)」という冠詞ニュアンス
I make it into the Cake.
私は(それを)ケーキに仕立てあげる
私はその食材を、ケーキに仕立て上げてみせる……ッ!
なにをケーキにするんだ くえるのか
グルメ漫画っぽい
私は「それ」を、ケーキに仕立てあげる
ほのぼのクトゥルフ神話系でよく観た。ニャル子さんとか
おいそれ食えるんだろうな
このレベルだと、もう「語」さえ覚えていれば、英語は大丈夫(よくある●●語だけ覚えてれば英語はしゃべれる本パターン)、とはいえなくなってくる。語義、「意味」が違うのだから。
語と語の組み合わせが言葉なのだけど、これは正確ではない。句と句の論理的結合、が「意味の体系」=言語、であるのだ
そして英語は、この語+語レベルの句の「イディオム(成句、慣用語、表現」が、他の言語に対して、多い。
とすると、グーグル翻訳でピンポイントで出す(語を)というのは、危険ですらある。
make senseを「センスをつくる」とするのは、危険ですらある。
意味:(1)「意味が通じる」(2)そこから転じて、道理が通じる=「合理(的だ)」
もちろん、センス「感覚」を作り出すからこそ意味が通じるのだけど、ここまでくると語源論っぽくなってくる。
有難う、という表現がある。
有る + 難い(難易度が高い、確率が低い) で成り立っている。
しかし、いちいちこの方程式を思い出すのでは、即座に言語運用が成り立たない。
「どもありがとさんっ!」でコンビニを出るときに、いちいち上の方程式語源論をやってられない
もうこれは有無を言わず暗記するしかない。それは創造性の敵ではないのか?
いや、「ありがとう」をさっと云えない創造性ってのは、むしろ創造性の敵ではないのだろうか
話が長くなったが、このあたりの「ピンポイントで語の意味をわかるため」のグーグル翻訳の限界性を打破するには、辞書のイディオム解説が非常に役に立つ。
重要なのは、イディオム、成句を暗記するのはもちろんだけど、「バリエーションがある」っていうことの概括を知っておくだけでも、かなり違う。使うときに慎重になる。
そして、言葉の運用の豊潤さというのは、この慎重なる試行錯誤である
そんなことをしていると、自分が知らない外国語の慣用表現っていうのは、相当あるってことに気付く。
もちろん語を知らなくては話にならないけど(文字通り)、語でもって自由になるためには、慣用表現を知らねばならない。そして、語と語の順列組み合わせにも近いものが慣用表現だから、これは無数に近いとも云える。
おお、こんな近くに「無数(数学)、無限」なるものはあったのか
それを、「楽しめる」か「うんざりだ……(地獄」とするか、で、外国語趣味になるかどうかは、分かれるかも
そりゃそうだ、って気分にもなる。
こうなってくると、辞書を読むのが楽しくなってくる。
「知らない」ことを楽しめるかどうか、という
この「無知を楽しむ」っていうのは、人間として、難しいですよね
しかし、そうありたいもので