「この門をくぐるものは、一切の成功への希望を捨てよ」
元記事
「かつてアルファブロガーは言った。「ブログは楽しかった」と。」
例えば、わたくし(このscrapboxの筆者)が、解脱しよう解脱しようと思っている「承認欲求」。長年の甲斐あって、承認欲求ワニワニパニックを繰り返し(=「モテたい!」という気持ちがふつふつと湧いてきたときにそれを理屈で封殺する行為)、それなりに、他者に認められたいモテたい承認されたい成功したい、という気持ちを少しずつ整理出来てきては、います……たぶん。
ただ、「成功」と「承認欲求」とは別ですよね。少なくとも、現代社会でその二つがあまりに結びつきすぎてしまっている問題。
成功は承認ではない
承認は金銭ではない
金銭は承認の一形態にすぎない
成功、とは何でしょうか。この、個々人によって当然違うものを、見定めること。
つまり「「目標」の研究」
自分が、ブログを続けていって、どういう成功を得たいのか。何を目標としているのか。
そもそも目標が凄くぼんやりしていて、しかもその目標が実は嘘だった、ということだとしたら
「本物の人生」とか「真の喜び、深淵なる幸福」とか
笑いごとじゃない。少なくともウィトゲンシュタインというひとは、哲学の諸問題が生じているのは、言語上のバグにかなり起因している、とした。
例えば、ある目標……「全世界、全時代、全ジャンルの音楽を聞きたい」という目標(このscrapboxの筆者のです)があったりします。この場合、その目標を達成できたと言えるのは、「全世界、全時代、全ジャンルの音楽を聞いているまさにその時」であることは明白です。
だのに、「まだこの音楽を聞けていない自分はダメ」とかってつい思ってしまう。この時点で目標から遠ざかっている。
そして「いろんな音楽を聞いて、喜びをアウトプットできていない自分はダメダメだ」っていう自己認識状態も、これも目標から遠ざかっていることは明白。そんな状態でブログを書いてどうなるって話です
「ある目的が自己目的化するとき、人の活動はその目的の手段に成り下がり、没頭するような楽しさは失われてしまう。当然、さまざまなことを──失敗込みで──チャレンジしていく楽しさも同様だ。」
---出典:同「かつてアルファブロガーは言った。「ブログは楽しかった」と。」
土屋賢二の「幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア」によれば、アリストテレスは、「人間の行動は、目的を達成するためのものである(手段)。そこで東京に着くために電車に乗るために切符を買うために財布から小銭を出し……(以下略)というように、目的ー手段の連鎖はずっと繋がっていく。このように、辿っていけば最終的に何らかの目的に到達するのが人間の行為である。そして、人間にとって本当に意味のある行動は、そうではない【それ以上何の目的もない、それ自体が目的となっている行動の方が価値がある】」としている。
つまりアリストテレスは、何らかの目的(東京に行く、東京に行って金を稼ぐ、東京に言って金を稼いでモテる……)のための行為(手段)よりも、それ以上何の価値もなく、「その行動自体が報い(報酬)になっている行動」というものの方が、人間にとって価値があり、そっちの方をするべきだ、としている。
アリストテレスは、哲学や数学を念頭に置いていた。
だがここではあくまでブログ、オルタナティヴ趣味道としての文章書きとする。
倉下氏が仰っている「自己目的」は、上記アリストテレスでいえば「目的ー手段、のループ」に属しているものだろう。むしろ倉下氏の「(チャレンジ込みの)没頭するような楽しさ」が、アリストテレスの「それ以上何の価値もない目的行動」だと言えると思う。ただ、ブログを書く。それ自体が目的となっているブログ。
ストイックすぎだろうか。
確かにまあ、ブログから他者(への意識)を排除しきることは、難しい。森博嗣氏でさえ、文章論・工作論でそれは難しいと指摘している。
だから、わたしたちはブログにおける「成功」の定義を考えるにおいて、「どうやっていれば、ただブログを書くだけで自分自身が満たされるようになるのか?」と問う必要がある。
まずはこの問いに答えることを、「目標」としなければならない。それも毎回ブログを書くときに、目標からズレていないか確認するくらいの勢いが必要なんじゃないか。
つまりそれは、「なんでいつしか自分たちは、一番はじめの、ただブログを書いているだけで幸せだった自分、から離れてしまったのか?」と問うことに等しい。
イコール、「雑念」と悟りの問題である
ここまで来ればもう耳タコかもしれないけど、趣味っていうのは、他者の関係のない、「ただその趣味行動をしているだけで自分自身が満たされる」というものに他ならなかったはずだ。
成功への希望を捨てよ。
あやふやな「成功の定義」を捨てよ。
承認欲求の希望を捨てよ
自分自身を捨つることなかれ
自分自身って何だ。趣味そのものじゃないか
今、自分は趣味を捨てる瀬戸際に立っているか?って疑念を抱くくらいの心持ちで