「かーそる」2019年7月夏号No.3
(5/25購入)
「 」内は引用、あるいは引用アブストラクト
残響による感想メモコメントは●以下から
●序文
「本は人なり、人は本なり」
芥川龍之介「侏珠の言葉」
---「文章 (又)」
彼等は皆樗牛(高山樗牛、文芸批評家)のように「文は人なり」と称している。が、いずれも内心では「人は文なり」と思っているらしい。
「読書はビジネスに役立ちます!と簡単に言い切れるのなら」
ああっ毒が
「本を一言で言い切れないのなら、言葉をつくしてみよう」
これが文学だなぁ、と。熱
読んで読んで読みまくって、語って語って語りまくる
ruu-embo「本のたのしみかたのひとつ」
これ、翻訳論に非常に近い。翻訳論でござい、とはしていないけど、「未知(のことば)」に対する態度が、非常に近い
言葉の理解。名詞、動詞の理解
万物の世界、という「書物」を読む(テキスト化した世界情報を読む)とは、共通認識(既知)をもとに、少しずつ「己の」知的領土を広げていく。それが自然科学を知るということであり、翻訳をするということであり、読書である
「(本を読むことによって)知らないことを知っていく」
無知を知ってしまうという、不愉快なはずなのにこれがなぜか愉快!
というか不愉快、って思っているのは読む(知る)までのちっけぇプライドなんであり、知ってしまってから(知的肉体、判断基準の反転)の愉快、愉悦っていったら!
つい、日本語をナチュラルに話していると、言葉(動詞、名詞...)に対する態度が雑になる。
ひとつの名詞(食べ物のほかの言語での名前)だけで、空想を羽ばたかせることが、どれほど「知」を、科学を、哲学をしているか。どれほどその方が知的なんだろう、と。
翻訳に結ぶところは、ここにもあって、一つの外国語を、うんうん頭ひねって「これどういう意味なんだ……」と考える。あるいはひとつの表現に頭をひねる……例えば以下のように
●「エルフ少女による「(本人の姉が)結婚するかもしんない」、というつぶやきを周囲が「えっおまえが結婚するの!?」と誤解するシーン」
……の発端のエルフ少女のそんな「つぶやき」を、主語を混乱させることによって叙述トリックの形で英訳するにはどうやったら……と頭をひねったり……(以下のラノベ英訳に続く)
ruu-embo氏のこの文章を読んで、そして続く他の寄稿者の方々の文章も読んで行って、どうにもたまらず「文章を深く読みたいなぁ」と思い、趣味の外国語をちょっと「深く」コミットしてみる。それが以下のツイートです。
(ツイート引用)
趣味のラノベ英訳。蝸牛くも「ゴブリンスレイヤー 7巻」第1章「彼女への招待状(ハンドアウト)」。英語堪能な方、ダメ出しして頂けると助かります
(原文はこれ)
https://gyazo.com/ef78a41b9f204d1b7f4211c51f846c92
Goblin Slayer! ep.1"Handouts Invitation for Girls' "
"It might be will marriage"
Elf Archer said as OTHER's things with shaking her long ears.
On hot afternoon,it grilled by sunshine from window.
Summer became.
They don't want go to adventure in the day,who wants run under the flaming sun? if you had to earn a living.
だいたい最初の1ページです。ゴブスレ7巻お読みの方はご存知のように、あるトリックが仕込まれてます。
(翻訳しながらだと)ラノベ1ページ読むのに、「速くて」30分かかりますね。
その分、描写や物語やギミックや日本語が、体に「刻まれ」ますね。
今のゴブスレ趣味英訳で一番不満なのは、蝸牛氏のザクザクしたハードボイルド文体に寄せようとして、しかし結果「TRPGファンタジーわくわく感」のジューシーさがゴッソリ削られてるところです。だむんしっと
(ツイート引用おわり)
本を読む……のだが、しかし単語ひとつをもっと考える必要はあるんだってば。それで英訳して、ラノベ1ページで30分、英訳にかかったけど、それは充実した読書でした。
Hibiki Kurosawa「これから相反する両方向へ」
文章をガッツリしっかり読む、という著者の「読者への主張」は、シュレディンガーと西田幾多郎の歯ごたえのある引用をしっかり読むことをまず求める、というハードさがメタ構造。よぅしやってやろう
作ることは、破壊すること
→森博嗣の「工作」の定義「レゴブロックが工作でないのは、素材を「不可逆の破壊的加工」をしないから」
これは工作を長くしてきて、ようやく自分が飲み込めてきたものであり。
真にオリジナルを作る、となると、ガンプラのジャンクパーツを「組み合わせる」だけでは、どうしても限界がくる。自分の想像を創造するために、部品の一部をゴリゴリ削って整形したり、塗装したり。そうすると、もう、もとのパーツには戻らない。それは、もとのパーツ(かたち)を愛すれば愛するほどちょっとつらいけど、それでも「自分の理想作品」をつくるためには、どうしたって避けられない。
さて、「生きる=つくる」とは?
壊すための壊す、ではなく、つくる、生きるために、壊す。
本を読む、食べる。食べるとは咀嚼。かみ砕く。消化する。
……生命の躍動