資本主義の危機としての少子化
筆者が想定するのは、ハーヴェイが考えるような、資本の破壊的作用に覚醒した人々が資本に立ち向かい、資本主義を打倒する革命的人間主義ではない。本稿が着目するのは、人間の本質と深くかかわる、子どもを設けるか設けないかの意思決定である。
生殖による世代の再生産が本能ではなく個人の意思決定によっていることは、人間とほかの生物との決定的な分水嶺である。筆者は、この人間性の領域における個別の意思決定が、集合的には少子化として立ち現れ、資本主義の存続に対する危機となっていると考える。なぜなら少子化とは、「資本の再生産の恒常的条件」である「労働者階級の不断の維持と再生産」(マルクス2017)が危機に陥っている状態だからである。
少子化対策は、出産奨励ではなく障害の除去であるという論理であり、現に日本の少子化対策はその線に沿って進められてきた。しかし、成果は出ていない。そもそも、国民の希望を足し合わせた国民希望出生率は置換水準に到達しないし、足しあわされた希望には、差し迫った願望から子供がいないよりはいた方がいいという程度までの幅がある。そのような幅のある意思表明を集計してみたところで、確認できるのは未婚者の結婚意欲と結婚希望者の理想子ども数が減退・減少する傾向である。
最新の『出生動向基本調査』によれば、未婚者のうち「一生結婚するつもりはない」と答えた男性は17.3%、女性は14.6%となり、いずれも過去最高を記録した。また、未婚者のうち将来結婚する意向がある人の希望子ども数は、平均で男性が1.82人、女性が1.79人であり、初めて男女の両方が2人を下回った。もはや障害を除去して希望に応えるだけでは、少子化を食い止めることはできない。