『原子力時代における哲学 (犀の教室)』
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3.11で原子力の平和利用神話は崩れた。人間の叡智は原子力に抗し得なかった。哲学もまた然り。しかし、哲学者でただ一人、原子力の本質的な危険性を早くから指摘していた人物がいる。それがマルティン・ハイデッガー。並み居る知識人たちが原子力の平和利用に傾いていくなかで、なぜハイデッガーだけが原子力の危険性を指摘できたのか。その洞察の秘密はどこにあったのか。ハイデッガーの知られざるテキスト「放下」を軸に、ハンナ・アレントからギリシア哲学まで、壮大なスケールで展開される、技術と自然をめぐる哲学講義録。3.11に対する哲学からの根源的な返答がここに。
「核技術そのものの問題をほとんど誰も取り上げていなかった時代、誰もがそれに大きな期待を寄せていた時代に、ハイデッガーがおそらく哲学者としてはただ一人、その問題点を鋭く指摘していたというのは見逃せない事実です。或る意味では哲学という営みのすごさを実感させてくれる事実でもあります。つまり、彼は哲学者であったからこそ、これを指摘できたのではないか。(…)哲学的な思考は、周囲に流されることなく物事の本質を観ることを可能にする──ハイデッガーの原子力を巡る思考は、そうした可能性を示す一つの証拠ではないかという気さえします。(本文より)」
【目次】
第一講 一九五〇年代の思想
1 原子力を考察した二人の思想家
2 核技術を巡る一九五〇年代の日本と世界の動き
3 ハイデッガーと一九五〇年代の思想
第二講 ハイデッガーの技術論
1 技術と自然
2 フュシスと哲学
第三講 『放下』を読む
1 「放下」
2 「放下の所在究明に向かって」
第四講 原子力信仰とナルシシズム
1 復習――ハイデッガー『放下』
2 贈与、外部、媒介
3 贈与を受けない生
4 結論に代えて
付録 ハイデッガーのいくつかの対話篇について──意志、放下、中動態