『アラン ――戦争と幸福の哲学 (ちくま新書 1862)』
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(著) 田中祐理子
出版社 :筑摩書房(2025/6/11) ISBN:4480076883
考えるとは否と言うことだ!
現在は、あの暗い時代とあまりに似ている――
二度の世界大戦を生きた思想家の言葉の魂にふれる決定版評伝。
アランは思想の体系化や理論化を嫌い、具体的なものを目の前にして語り、ノートを毎日持ち歩き、プロポ(哲学断片)を綴り続けた。名著『幸福論』を通じて広く親しまれてきた彼の哲学には、二度の世界大戦が影を落としている。戦争の愚劣さを体験するため、自らすすんで従軍し、危険な前線に立ったアラン。その言葉は、暗い現代を生きる私たちに何を投げかけているだろう。生涯と思想の断片をつなぎ、「考えるとは否と言うこと」というアランの声に〈いま〉耳を傾ける、第一級の評伝。
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【目次】
はじめに――「煉獄にいる哲学者」の言葉を読む
教師アランの教え/二度の世界大戦を生きた哲学者/アインシュタインの問い――「ひとはなぜ戦争をするのか」/「情け容赦なく存在する」ものの前で/煉獄にとどまる哲学者/いま、アランを読む
第一章 〈共和国〉の申し子――アランの生と哲学
1 エミール・シャルティエ
コメディ街三番地/城壁と草原と馬
2 一八六八年に生まれて
近代世界の広がりとともに/ナポレオン帝政の終焉/王党派と共和国の間で/書物と「知ること」への愛
3 フランス第三共和政と哲学教師たち
第三共和政と共和国の理念/ペルシュロンの旅立ち/教師ラニョーとの出会い
第二章 なぜプロポで語るのか
1 哲学教師シャルティエの出発
最初の教室/パリ高等師範学校と哲学者サークル
2 「反乱」とジャーナリズム
ドレフュス事件と「共和国」の亀裂/『ロリアン新聞』の「アラン」
3 〈アランのプロポ〉へ
プロポ以前のアラン/便箋二枚、毎日書く/初期のプロポから――「馬」の痛みと「信じ込むこと」/哲学とプロポ
第三章 第一次世界大戦と『マルス 裁かれた戦争』(一九二一年)
1 プロポと戦争
断片から世界を組み立てる/プロポの自在さ/開戦と入隊
2 志願兵シャルティエの戦争
教師の怒りと混乱/シャルティエの戦場とアランのプロポ/『精神と情念に関する八一章』『芸術の体系』そして『マルス』
3 戦場でアランが見たもの
生還した兵士の「沈黙」/死んだ兵士の「噓」
4 憤怒の兵卒が砲弾になる仕組み
戦争という「システム」を書く/方法としての侮蔑
第四章 鏡でしかない知性の時代へ
1 「賢者」との対話
未曾有の体験/「ツルハシ」をめぐる会話
2 原因と必然の「知」
「賢者」の怒り/「狂信」と「悲劇」/世界大戦を「説明」する
3 「人間」が生み出したものによって「人間」が支配されるということ
誰も始めなかった戦争/戦地の「人間と呼ばれるものたち」と「美しさ」
第五章 第二次世界大戦との戦い
1 「戦後」の日々へ
教師アランと教え子たち/第一次世界大戦の顚末
2 アランの反戦主義と「戦間期」の政治状況
一九二〇年代――「戦勝国」の首都パリで/「すでに戦争状態にある」ものに向けて/国際連盟――その役割と困難/「誓わねばならない」の呼びかけ
3 大戦の再来
一九三〇年代へ/反ファシズムと人民戦線/第三共和政フランスの敗北
第六章 煉獄の思想――人間はどれほどのことができるのか
1 アランの日記(一九三七〜一九五〇)
二〇一八年の「アラン・スキャンダル」/ヒトラーを読むアラン/ヒトラーの平凡さ/「反ユダヤ」の自問
2 「われわれの自由」たる「神」に向かう思考
痛みと悲しみの日々/祈り――「人間は人間にとって神である」/「純然たる急進主義者」スピノザとともに
3 精神として、目を覚まし続けなくてはならない
第二次世界大戦の終わり/ヴェイユを読むアラン/考えるとは否と言うこと/むすび ――「真の哲学者」アラン
あとがき/図版出典一覧
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