誰かがしがみつきたくなる物語
期待感を煽る→ノウハウやらなんやらを売る→しかし成果は出ない→失望と自信の喪失→より「確かな」(あるいは「強い」)ノウハウを求める→被害拡大、というループがあるわけだ。evilなご商売だこと。
たとえば、ある心理状態だと、5000円のノウハウでうまくいかなかったときに、1万円のノウハウなら、となっちゃうわけだ。そしてそれが再帰的に拡大していく。再帰、恐ろしい子。 そのループを壊さないために、閉鎖的(外部性の排除、同質性の濃度の上昇)である必要があるわけだ。そのループ(ゲーム)を外から見る人がいたら困る、と。
そもそも、そのループを何度か回している人は、よほどのことがない限り外からの声に耳を傾けることはないだろう。強烈な自己否定をくぐり抜けなければいけないわけだから。
むしろ反発した方が楽だし、その反発がますます自分の考えを強固にしてしまう。ループ提供者はそれを眺めているだけでいい。
言い換えれば、ループ提供者は誰かがしがみつきたくなる物語さえ提供すればあとはなんでも良いわけだ。というか、その物語が現実的に実効性を持たなければ持たない程いい。より強いしがみつきが生まれるから。
そのループを瓦解させるのは、説得ではないだろう(それは先ほど確認した)。たぶん広い意味でのカウンセリングだろうし、それは結構コストがかかる。ループに嵌まり込まない、ないしは浅い段階で抜けられるようにするためには、やはり物語の相対化が可能な能力ではないか。
翻って、「実効性を持たなければ持たない」物語とは何かと言えば、奇麗事なわけだ。vision-fullでreal-lessな物語。そうした物語に「臭い」を感じるのが物語を相対化できる能力だろう。