西洋的な分類思想の無自覚な適用が行われていないか
性のアメリカ的分類をそのまま適用したり、あるいは細分化したりハイブリッドにしたりするのでは取り逃してしまう性のあり方が、日本や中国などにはあるのではないかという視点。アメリカ的分類を無理に使うことで、日本の当事者がかえって悩みを深くする可能性もあるかもしれない。 日本は、戦後その文化を欧米からどんどん輸入することで成長してきたので、ある部分まではアメリカ的分類が通用することはあるだろう。
しかし、完全にうまくいくかはわからない。
庭があって、その土を外から持ってきたら、その土があった場所で育つ種は育ちやすいだろうが、十全に花を咲かせるかまではわからない。
もともとの土との相性が悪ければ、十全には育たないだろう。
言い換えれば、十分根を下ろすことはないだろう。
上記は、性についての分類だが、同じようなことは、自己啓発の分野でも適用できるのではないか。 たとえば、GTDのリスト構成は、あまりにアメリカ的すぎるのではないか、という問いを立てることは可能ではないか。
分類やメタファーが、アメリカン・グローバリズムの元に統一されていく。