自己啓発の呪いをその内側から解く
自己啓発の呪いを、むしろその内側から解体していきたい。そこで語られる理念がどれだけ立派であろうとも、むしろそうであるからそこ、その呪いは強くなる。自己を実現し、完璧なセルフマネジメントのもとで、高い人格を備えなければ、人生には意味などないのだ、という呪いが。 たとえそれが、「ありのままの自分を肯定しよう」という一見すると救済のように見えるものであっても、肯定できない自分はダメだという呪いを抱えている。価値判断の幅を広げるポジティブ主義であっても、その判断の外側には常にマイナスの価値が眠っている。グラフで、一般的に想定されているよりも低い位置まで価値を想定しても、常にその位置よりも低い領域が残り続ける。ただ「在る」ということを受け入れられない。そこには常に一定の条件が付きまとい、それがセキュリティーホールとして機能してしまう。
だからといって自己啓発的なものから距離を置いてそれを批判しても、それを求めている人がいる状況は動かない。「やりがい」や「肯定感」が搾取の駆動機関となって残り続ける。 だからこそ、それを内側から解体していく。あるいは、その呪詛を弱めていく。あたかも自己啓発かであるように語りながら。