自信を持てない人間に対して、「自信を持て」というのはあまり意味がない
自分→自分
おおもとの自分への肯定感が欠落している状況では、この循環構造は維持できない。 「自分を信じるな! 俺を信じろ! お前を信じる俺を信じろ!!」
「お前を信じろ! 俺が信じるお前を信じろ!!」
「俺が信じるおまえでもない。おまえが信じる俺でもない。おまえが信じる、おまえを信じろ!」
石橋を作るときとかに、まず土台を作っておき、その上に石をアーチ状に組んでから、土台を引き抜く、という作り方がある。
木で枠組みを作り、その中にコンクリを流すことで円柱を作る、という方法もある。
最初に何か、絶対的な、有無を言わせない、理屈や理性が顔を出さない存在からの信任が自己に与えられている、という状況(感覚)が必要なのではないか。 その土台があるうちに、自分が自分を信頼するという循環構造を作る
それが回り始めたら、最初の絶対者の存在は欠けても自信は失われない
というよりも、仮初めの自信が与えられたことで、行動が発生し、その行動の実績が、自信を肯定(固定)してくれるようになる
理屈が顔を出さないようにする、という点では、こんまり流にも通じるところがあるかもしれない。