綴じノートかルーズリーフかそれが問題だ
最終的に
デジタルツール
に着地することを考えれば、スキャンなり撮影がしやすい
ルーズリーフ
なり
リングノート
なり
ノートパッド
が最適解であることは、もはや疑いようはない。
でも、そうであるからこそ
綴じノート
に魅力を感じる。断片に分解されない、一つのつながりとしての
ノート
。そこに書き込んでいくことは、もはや一つの作品を作り上げる行為に等しいとさえ言える(かもしれない)。
ほとんどのものがデジタルに着地するからこそ、デジタルに着地させない「書くための場所」を持っておくことは、精神にどんな作用を及ぼすだろうか。
#『ノートについて』