結城メルマガYMM526の感想
嘘を見抜く
SNSにはウソが多いと聞きます。ウソをウソと見抜けるようになるには何が必要でしょうか。
「ウソ」でないものを確立し、そこからの演繹で導き出せるものしか信用しない by デカルト
嘘について知る
ウソにも、完全な嘘とちょっとだけ嘘が混じったものがある
嘘をつく目的もいろいろある
「あれは嘘だ!」と理解しても、その理解が間違っている可能性もある
当人は本当だと思っているけども、事実と違う話もある。
なぜ「ウソをウソと見抜けるようになり」たいのか?
だまされたくない?
だったら最初から何も信用しなければいい→リターントゥデカルト
「SNSにはウソが多い」はホントウか?
結局、検証が必要。
そして、「どのくらい確かか」という確度の高低で捉え、それを継続的な情報摂取でアップデートしていく感覚。
しゃしゃり出るか否かの判断
読者さんから「質問されて答える」のと、こちらが勝手に疑問を見つけて「しゃしゃり出て答える」のとでは意味がずいぶん違います。
とてもよくわかる。
rashita.iconは非常におせっかいなので、ついしゃしゃり出たくなってしまうので、それをグッとこらえている。
フンス!、のような効果音が出ている
がんばれない人
私は、自分自身のことを「がんばれない人」だと思っています。
より正確に言うと、たとえば「寝る間も惜しんで超本気でこの一ヶ月はTOEICに集中する」といったことができません。
ごく普通に、できない人の方が多いのではないか。
その意味で、がんばれない人はいる。
むしろがんばれる人がすごく特異なのではないか。
あと、結構目標がアバウトな感じもする
結城メルマガの質問で、「実は自分は努力していないだけではないか」という心配や不安をよく見かける気がする。
その心的状態は何によってもたらされているのだろうか。
「やればできる」という努力信仰?
「もっと」良い結果を得られるはずである、という認知的不協和?
教えること
Aさんは、言われたことはきちんとやってくださいますし、たくさん質問してくれるのもありがたいのですが「もうちょっと自分で調べてほしい」とも思ってしまいます。現在のところは、私が何でも教えているのですが、Aさんの身になっているのかも疑問です。
「何でも教えている」が具体的にどういう状況をさすのかは不明だけども、教えすぎている→困ったらこの人に聞けばいいと思われている、ということは一応ありえる状況だとは思う。
結城先生も書かれていたが、「自分はあなたにこうなってほしいと思っている。たとえば、こういうことについては、この資料を見れば調べられる。そういうことをできるようになって欲しい」ときちんと伝えることはすごく大切。
自分の期待を伝えることをしないで、相手が自分の期待通りにならないことに怒ったり、がっかりしたりする人が多いが、そういうことはテレパシーでは伝わらない。