結城メルマガYMM409の感想
検索・自分のものを売ること・自身の先生・人の目・S/N比
どんな検索ワードで自分は探すだろうか
あなたは、すぐには使わないものを片付けるとき、片付ける場所をどんな基準で決めますか。
まずは、Evernoteに入れて、「どんな検索ワード(またはタグ)で自分は探すだろうか」と考える。
ノートブックの分類よりは、むしろノートタイトルとタグに重点を置く
自分のものを売ること
売り込むというのは相手からお金をもらうことなので、自分は得をして相手は損をするというような感じがして、あるいは物の良さをアピールすることがある種の自画自賛になるような感じもして(?)なにかの後ろめたさを感じてしまいます(後ろめたさの理由は完全にはわからないです)。そのあたりが心理的にブレーキになっており、あまりアピールができません。
気持ちはわからないではない(半分わかる)
コンビニで働いていたときは、他人が作ったものを売る、という仕事で、そこでは上で言う「アピール」はぜんぜん苦にならなかった
物書きになってからは、そこに多少の「気恥ずかしさ」みたいなものが混じってきた
たぶん上の人と近しい気持ちだろう
最近は、そういう感覚はほとんど憶えない
商業出版だと、「自分一人の作品」という感じではないし、セルフパブリッシングでも「自分は精一杯頑張って、こういう性質のプロダクトを作りました。よければ読んでみてください」みたいなスタンスだから。
あるいは単に慣れてきただけかもしれない。
ちなみに、「自分は得をして相手は損をする」というのは予断であって、実際に起こるのは、「面白かったです。ありがとうございます」「いや、こちらこそ読んでいただきありがとうございます」という、ありがとうございます交換だったりする(もちろん、すべてがそうなるというわけではないが)
自身の先生
あなたは、自分自身の先生になっているでしょうか。
ドラッカーは、すべての知識労働者は、自分自身に対するエグゼクティブ(≒マネージャー)でもあると説いた、という話を思い出した。 単純な自己啓発とは違う何かが、このメッセージには込められている
人の目
人の目を気にしすぎること
ここで言う、「人の目」とは一体なんだろうか。
時間をかけて醸成された、内面化された規範、に近いだろうか。
知らずに取り込まれた見せかけの倫理、という表現もできそう
現実的に存在する人間の眼差し(の先取り)ということもあるだろうし、自分が勝手に作り上げている「かくあるべし」ということもあるだろう。
S/N比
S/N比
S/N比という表現は面白い。
それは比率で表される。
ある程度ノイズが混じっているのがナチュラル、ということではないか
シグナルが100で、ノイズが0というのが自然状態(ある系の継続にとって良い状態)の場合、「比率」というのではなく、別の表現形態が用いられるのではないか。
ノイズは多くなりすぎては困る。しかし、ノイズを完全に0にしようと、多大なコストを支払うのは、思いもよらぬ結果を引き寄せるのではないか