理論ではなく比喩
後期ウィトゲンシュタインは「理論」を嫌ったという。
何事も「理論」という認識を通した瞬間、あたかも全てが説明されたかのような誤謬に陥るからと、一九三〇年頃から以降のヴィトゲンシュタインは(かつて彼が『論考』で提唱した、と考えられている「写像理論」や「独我論」なども含め、あらゆる)理論に拒絶反応を示した。
彼の「言語ゲーム」も理論ではなく、あくまでたとえである。
だから「言語ゲーム」は理論でも学説でも、世界の謎を解く真理でもない。それは何を語るにも考えるにも言語を使わざるをえない、そんな人間の言語使用も含めた日常生活における諸活動、その全般の多様性をあるがまま、ありのままの事実そのものとして、展望するための比喩なのだ。