根性は道具の一つ
根性を出せばすべて解決する、という根性論を否定したとしても、生の営みにおいて根性というものがまったく不要とまでは言えない。
それを一つの道具だと捉えるなら、わざわざ使える道具を減らす必要はない。「使えるものはなんでも使う」の精神ならば、道具は揃えておきたい。
@gymrit: @rashita2 ただし根性によるブーストは一時的効果でたいていの人においては持続可能ではなく副作用もままあるというのも事実かと😌
その意味で、根性の扱いは医薬品の扱いに似ている
@takwordpiece: 「根性が必要なことはある」と言うと聞こえが悪いが「必死にならないとできないことはある」と言うと多少受け入れやすいかもしれない。
根性に限らないが、そこによくないものが含まれているからといって、それ以上細かく考えることを避けて全面的に却下するという態度は感心できない。
知的に粗雑な態度だと思う。
白黒思考の一種。
穢れに近いものも感じる
精神論でも、計画や予定でも、似たことが言える。
そのような知へのアプローチを僕たちは義務教育でほとんどならってこない。
従うか、ドロップアウトするかを迫られる。
「有害な根性」というのがあるにしても、「根性すべてが有害」は真にはできない。
必要な必死さと、有害な根性を弁別して扱うのではなく、それらはつながっていてグラデーションがあるだけだ、という見方の方が個人的には「根性」とうまくつきあえる気がする。
from 2025/4/4