来るべきバカの他者論
『勉強の哲学』
に
来るべきバカ
という概念が出てくる。
いったん無茶苦茶勉強して、周囲から浮く。
その後、周りに合わせるように浮きを修正する。
その振る舞いは、いっけんバカのようであるが、その実体はそうではない。
このような自己の変身を通すことで、自分から見ていっけんバカにしか見えないような存在が、でも、もしかしたらそうではないのかもしれない、という視点をも得ることができる。
これは
変身論
(≒
自己啓発
)であり、
他者論
でもある。
自分が自分を見つめる眼差しと、自分が他者を見つめる眼差しの両方に関わってくる。
これは
『無責任の新体系 ──きみはウーティスと言わねばならない』
の、物語にたくさん触れることにより、
無知のヴェール
と近しい状況に至れる、ということに多少似ている気がする。