本と読書について
予想外の遭遇
紙の本を買って読んでいるときに、途中のページに挟まれている「今月の新刊案内」に"遭遇"する、という読書体験は、電子書籍ではなかなか得られない。
独学の不安定さ
独学は、どんな本を読めばいいのかわからないという入り口の不安定さ、本を読みそれを整理する作業継続の不安定さ、そうしてまとめた内容の確からしさについての不安定さを抱えている。逆に言えば、その点を意識してやっていけばいい。
入口に関しては、たくさんある本のどれを読めばいいのかわからない、そもそも有用な本の存在を知らない、どう読めばいいのかわからない、といった問題がある。そういうときに妙なセミナーを選びたくなるが、しかしそうしたセミナーは前述の問題をほとんど解決してくれない。
読めないほどの本を買って、積んでおくというのは、利己的というよりも、むしろ利他的な行動ではないか。
ある程度、本を読んでいると一冊だけで本を読むということは少なくなっていく。それは、並行して複数の本を読み進めるということだけでなく、ある関係性の中で一冊の本を捉えながら読むことも意味する。
古本屋や図書館について
本を面白く読みたい
本について
本を読むことについて
本を眺めることについて
本を積むことについて
本を読む生活について
いかに本を読むか
面白く本を読むことについて
読むの多様さ
書店について(あるいは、本のある場所について)
書斎について
書店で本を買うこと
たとえば、楽しみにしている本をワクワクしながら書店に買いに行き、そこでそわそわと本を探し回り、そうして買った本をドキドキしながらちらちらと読んで買える、というのは一つの大切な時間であり、ネット書店には(あまり)ないものでもある。
目利きへの評価
本と作品について
増殖する本
本を買う人ならわかると思うけども、蔵書というのは増殖していくものなので、鬼滅の刃を全巻揃えた子どもたちの本棚もさまざまな漫画が増えていくことだろう。
本棚の価値
たとえば、何かしらのストーリーを体験する、ということだけであれば、漫画アプリの無料分で毎日少しずつ読んでいくことができるかもしれないが、コミックを買って家に置いておくことはそれとは異なる経験を体験できる。
古典を読むこと
たとえば「働くこととは何か?」という疑問を持ったときに、あんまり「『資本論』を読もう」とはならないと思うんだけど、やっぱりそういうアプローチの方が遠回りに見えてしっかり整っている道な気がする。
それは別に『資本論』を読めばそこに答えが書いてあるということではなく、自分で考えるための道具やら素材やらがそこで見つけられる(かも)ということだ。
雑学クイズのように辞書を引いてその定義を答えればそれで済むならばともかく、「働くこと」などのように自分の人生に含まれていることについてはやっぱり自分で考えて自分で答えを出していくしかない。たぶん、そういう行いが、「独学」と呼べるものと呼応しているのだろう。
読書は何を生み出すのか
何のために本を読むのか、という問いにどう答えるのか
『読々』/『僕たちは、なぜ本を読むのだろうか』
積読,濫読,精読,速読,多読,消読,輪読
『静かな快楽:本が作りだすもの』
お見合いとしての読書
書店の楽しみ方
『いま本を読むことについて』(読書についての探求)
『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳 :「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる』
『読書と社会科学』
『「読み」の整理学』
『教養の書』
『極北』
あたりを参照しながら、「本を読むこと」について考察してみたい。
スゴ本
積読本
何のために本を読むのか
どう本を読むのか
本を読むとは何か?
これは「情報摂取の作法」の一部になるだろう。
それは、知的技術の一部となるのか。
知的技術の全体像は、どうなっているのか。
「書店の棚」にお金を払う、という感覚。