排他的な分類に効能はあるか
読書猿 「それ、図書館にあります」という本を書けばいいんだよね、おれたちで(笑)。図書館の本って、日本十進分類法で分類され、配架されてますが、人の関心や、その関心の引き金になる問題の方は、分類に合わせてくれるわけじゃない。関心は分類には対応しないんです。むしろ、関心は分類を貫通するっていうか、問題を解くには図書館の分類を横断する必要がある*3。これが問題に直面する素人が「専門家」ではない理由、そして、あれやこれやの書物だけではなく、図書館がまるごと必要となる理由です。
重要な指摘だ。情報整理や発想において骨子になる要素でもある。 ということを踏まえて考えたいのは、「では、その分類にどんな意味があるのか?」という問い。 関心は、分類に合わせられるのではないとしたら、その分類にどんな意義があるのか? 仮に意義がないなら、たとえばすべてをタグ的に扱い、(排他的な)カテゴリーなど設けなければ良いのではないか?
排他的なカテゴリーには、意味があるのか
±ゼロなのか
それともデメリットがあるのか。
公共の図書館は誰でも利用できる場所ですよね。誰でも来ていいとなると、運営側は、どんなニーズを持った人が来るのか分からないから、どんな人が来てもいいように、ありとあらゆる書物を揃えなければいけなくなる。もちろん、全部は無理です。しかし、できるかできないかはともかく、少なくとも全方位的に揃えなければいけない、という方針が立てられる。全方位的に収集された蔵書群が必要だ、となると、蔵書を整理するための全方位的な図書(館)分類が必要だろう、という風につながっていく。
どんな本がやって来ても、一応は図書館に収めることができる。
(「総記」と「技術・工学」に)散らばってしまった上に、それぞれで膨れ上がっている状態です。今後、ITまわりの本はさらに増えていくでしょう。……と、まあ、いろいろ問題はあるんだけど、でも、全方位的に本を分類するという方向性自体は間違っていないと思います。
「どんな本でも、一応は図書館に収められる」
「事前に来館者のニーズがわからないから、ある程度普遍的で、全方位的な(著しい偏りがない)分類を作るしかない」
個人の情報整理において、この分類はどれだけ役に立つか?
図書館と対応しているメリット
他人と共有できるメリット
なんにせよ排他的なカテゴリーが必要だから、既存のものを使っておくという省力化のメリット
ということが、一切必要ない情報整理空間であれば、排他的なカテゴリーというのは、強く要請されないのではないか?
たとえば、このScrapboxはそのような設計思想を持っている
コンテキストを共にしない、はじめて来た人は、おそらく情報は探しにくい
そのためのindexを作る手はある
それ以外の人は、検索・リンクだけで必要な情報にたどり着ける
これが、パブリック・ライブラリーではない、という場所の特徴(ある種の制限からの解放)
もちろん、上記以外にも排他的な分類の効能はあるに違いないが、絶対に必要とまで言えるかどうかは要検討である。