抗えること
私達はより多くの自由をもっているひとのほうが、より多くの力をもっているように認識します。しかし自分のことを自由と標榜するひとのなかにこそ、あまりに状況に束縛されて自由を失っている人がいる例は枚挙にいとまがありません。
こういった論理が、保守系メディアではまかりとおり、それを信じている人も実際に大勢いるわけです。それもこれも「擁護する」ということが最初から決まっている場合、どんな論理でもそれにあわせて作り出すことができるからといってもいいわけです。
上の二つの記事に、何か通じるものを感じた。KJ法的に言えば、近しいと感じられた。
つまり、「あらかじめ持った結論に束縛されないこと」と「自由さ」にパスがつながりそうに感じた、ということ。
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というところから話をスタートさせる
自由であろうとすればするほど、自由ではなくなる
主体性を持つことと、自由との関係
自由であるとは抗えること
知的であるということは抗えること
知的怠惰
重力に抗う力としての筋力
知的筋力
知的自由さ
高度な技能を持ち自由自在にボールを操れるサッカー選手は、サッカーというゲームのルールの制約下にある