忍び寄る複雑さとScrapbox
上のサイトで掲示されている図を引用させていただく。
https://rashita.net/blog/wp-content/uploads/2018/08/screenshot-28.png
この図が意味することは、「Magic The Gatheringというものが存続し、印刷されるカードが増えれば増えるほど、ゲームとしての複雑さが増していき、新規ユーザーが参入しにくくなってしまう」ということだ。実際それでMTGは一時期苦境に陥ったらしい。もちろんそれはそうだろう。ずっと続けるプレイヤーもいれば、やめていくプレイヤーもいる。新規加入者がまったくなければ、じわじわと総ゲーム人口は減っていくだろう。
ここでのポイントは、なにもゲームデザイナーたちが躍起になってMTGを複雑にしようとしていたわけではない、ということだ。彼らはプレイヤーを楽しませるために新しい仕組みを作り、カードをデザインしてきた。使い古された機能など、誰が楽しめるというのか、といわんばかりに。
結果的に、どんどんカードが持つ機能は複雑になり、プレイヤーに要求されるスキルは上昇した。複雑さが、忍び寄ってきたのである。招き入れたのではない。忍び寄ってきたのだ。
MTGの開発部は、その状況に手を打った。複雑さが膨らみすぎないように、ゲームデザインに一定の制約を設けたのだ。
どのようにしてそれをなしたのか、というのも実は極めて面白い話なのだが、それを解説する余裕はないので、とりあえず以下の二つの記事を紹介しておく。
■
さて、ここで私たちは大きな教訓を得たように思う。時間と共に複雑さは忍び寄ってくるものなのだ。すべてのシステムにそれが適用できるかはさておき、たしかにそのような性質を持つものはある。 そうしたシステムでは、意識的に複雑さを抑えようとしないかぎりは、複雑になりすぎてしまう。手に負えない、やっかいな代物になりはててしまう。
まずこの点をツール開発の視点から眺めてみると、Scrapboxの開発陣はこれをしっかりと踏まえているように感じる。いろいろ細かい機能はたくさんあるが、それを「さあ、これが使えますよ! チュートリアルでしっかり勉強してから使ってください!」のようにはしていない。たまたま見つけたらラッキーくらいの位置づけである。 さらに言えば、より高いレベルでカスタマイズする機能もありつつ、それは上級者編に位置づけられ、これもまた全面には押し出されていない。この辺はさきほど紹介したレンズ状のデザインに通じるところがある。
機能を盛り込むは人の常。切り捨てるのは神の技。noteがすごいのは、機能を切り捨てていること。
野口悠紀雄(@yukionoguchi10) 2018年8月23日 上はnoteを褒めた言葉ではあるが、同じことはScrapboxにも言えると思う。私も自分でツールを作っているときに感じるのだが、機能を足すのは簡単なのだ。ただ、それを繰り返していくと全体としての整合性がなくなり、なんのためのツールなのかが見えにくくなり、最終的に私しか使えないようなヘンテコなツールになりはてる。非常に使いにくいのだが、慣れているからわからない、というようないびつな関係になる。 たとえば、長い間開発されているツールだと、一つのウィンドウにめちゃくちゃボタンがついていたりする。わかっている人間は、それらで迷うことはないが、新規参入者にしてみればマニュアルを紐解かないかぎりはチンプンカンプンである。複雑さが忍び寄ってきた結果、というわけだ。
■
さらにこの話を、個人が使う情報整理ツールの視点からも眺めてみよう。
ごく普通に生活していれば、個人が扱う情報整理ツールにも複雑さが忍び寄ってくる。あなたが僧侶かなにかで山奥に籠もり、一年中修行の毎日を送っているならばともかく、人の世は移ろいやすく、人間の興味や仕事は変化していくものだ。複雑さは、増加していく。
もちろん、意図的にそれを押し下げることはできるだろう。山ごもりやら情報デトックスと呼ばれる行為がそれにあたる。自分の関心を抑制することで、扱う情報の複雑化を避けているわけだ。 あるいは、階層を作るのもその一端である。固定的な階層構造を作り、そこに扱う情報を入れ込んでしまう。その階層構造を崩さない限り、複雑さは露呈しない。つまり、実際に扱う情報は複雑になっているにも関わらず、それを固定的な階層構造に押し込むことにより、それが認識されない形に整えている、ということだ。ただし、末端の情報はひどい扱いを受けてしまうことは避けられない。これは弊害といっていいだろう。あるいは、定期的な(ないし突発的な)階層構造のリストラクチャリングが発生することもある。それはそれでコストである。 Scrapboxは、逆方向からアプローチする。「そんなややこしくなるんなら、はじめから階層なんて作らなければよろし」
Scrapboxでは、複雑さを階層構造で抑え込まない(あるいは整えない)。ただ複雑なままである。とは言え、スクロールすると見えてくる全体のカード(≒スクロールしないと見えてこないその他のカード)、2ホップ先まで見える関連ページ(≒2ホップ先までしか表示されない関連ページ)、という形でいくつかの有限化が行われている。 Scrapboxでは全体が見えたりはしないし、全体の関係性が「一目でわかる」ようにもなっていない。ページが50や100のうちならともかく、2000や3000になってくると、そういうものは機能しなくなるからだろう。
しかし、ページが2000になろうが3000になろうが──よほど同質性の強い情報を集めていない限りは──、一つのページとその周辺ページを表示させるやり方は機能する。それは、超広大なダンジョンであっても、タイマツで勇者の付近数マスを照らすことができれば、ダンジョンを進んでいける、ということに少しばかり似ている。 ■
私にはどんなやり方が正解なのかはわからない。ただ一つ言えることは、「時間がたったとき、数が増えたときに、変化する何かがある」ということだ。そしてそれは、間違いなく「複雑さ」に関係している。
数が小さい状態に最適化してしまうと、数が大きい状態に移行したときに破綻してしまう(あるいは大きな労苦が発生する)。問題は、ツール開発であっても、自分の情報整理ツールであっても、スタート時は数が小さい状態から始まる、ということだ。そして、そのときの状態から「理想」を考えてしまう。そして、時間が経つとうまくいかなくなる。
私たちは〈時間軸〉と〈複雑さ〉、という評価軸を持った方がよいのだろう。時間が経っても複雑さが増加しないようなものと、そうでないものは、同じような扱いはできない。
思えば私のこのブログも似たような課題を抱えている。一体全体5200を越える記事を書き続けるだろうと誰が予想しただろうか。おかげで、多くの記事が死蔵に向かって一直線である。そして、カテゴリーとタグは大混乱だ。SEOの弱い当ブログにはGoogle神の救いの手が差し伸べられることもない。
もちろん、ある程度は仕方がない。「デジタルで大量の情報を個人が残せるようになった」のは人類の歴史全体からみれば、極めてごく最近の出来事である。まだまだ知見は浅い。しかし、とりあえず一巡はしたのではないか。Evernoteも10周年を迎えたということは、個人のデジタルデータの蓄積が10年は続いた、ということだ。
はたして、それらの情報はどうなったか。
その知見の上に、これからの情報整理ツールというのは組み立てられていくべきであろう。複雑さとの付き合い方を添えながら。