心の中のモデルについて
処理そのものはコンピュータの内部で行われ目には見えないもの、電子的なものです。目には見えませんが、ユーザはそれらを心の中に思い描きます。これを仮に「モデル」と呼ぶことにすると、コンピュータで何かを行う「手順」というのは「モデルを操作するための手順」といえるでしょう。
コンピュータを学ぶとき、本を読んだり人の話を聞いて、操作の「手順」を学びます。それはそれで結構なのですが、本当に字面だけの手順、目に見える手順だけを覚えようとするのはあまりよくありません。応用が効かなくなるからです。
たとえば、「ファイルの名前を変える」。
手順を覚えるなら、上のメニューバーから「ファイル」を開くなりして名前を変えるというやり方を暗記する。
これで「ファイルの名前を変えておいて」と依頼されたときに、その手順を辿ることで仕事は完了する。
しかし、その段階では、たとえばFinderで名前を変えたり、bashで名前を変えたりということはできない
そういうことができる、という可能性にも気がつかない
また、「ファイルの名前を変える」ということがどういういことなのかも理解できていない。
「screenshot01.png」というファイルを「screenshot.png」という名前に変えることと、「screenshot.png」という名前のファイルを新しく作ることの違いがわからない。
あくまで、一定の指示に対応する一連の手順を覚えただけ。
ファイルやディスクやクラウドやフォルダやアプリといったコンピュータ上に出てくる概念の「モデル」を心の中に構築し、それを操作するための手順を覚えるのが望ましい学び方だと思います。 教える側からすると、いかに適切なモデルを形成させることができるか、その手伝いができるかが鍵。
なぜそのような操作をしているのか、その操作をしたことで、なにがどう変化したのかも合わせて記述する?
どこかで、(いったん具体的な手順の説明を離れて)全体的なモデルの説明を入れる?
たとえば、タスク管理の技術や知的生産の技術をこの、「モデル」の側面から解説するとどうなるか?
タスクリストにタスクを記録するとき、私たちは何をしているのか?
メモ帳にメモを記入するとき、私たちは何をしているのか?
以上のような点が理解できると、紹介されているツール以外でも同種のことができるし、自分なりのアレンジもしやすくなる
とりあえず、この話自体がなかなか抽象的なので伝えるのが難しいなとは思った
抽象性と応用性
実際的になるほど抽象的になる
ナルトの「どういうことだってばよ」の気持ちを持つことが大切なのだろう。