心と思考を整える哲学ラジオ+第五回「数学と花鳥風月」
心と思考を整える哲学ラジオ+第五回「数学と花鳥風月」
占い
占ってもらいたいもの
仕事・恋愛・家族
世界情勢は占い師には尋ねない
「私」のことを聞きたい(世界のことではない)
「私」の人間関係についての不安
養老孟司の講演会
幸せも人間関係
脳内物質のせい?rashita.icon
『嫌われる勇気』にも似た話が
危険、
花鳥風月(自然)がそこにはない
人間世界の話ばかりになっている
ご遺体は変化しない、人間は変化してしまう
『養老孟司の大言論II 嫌いなことから、人は学ぶ (養老孟司の大言論 2) 』
終戦後、教科書に墨を入れる経験
解剖学には、目の前にあるもの以外は現れない
「安心」
数学への興味
安心できるもの
数学は自分でファクトチェックができる
前提を飲み込めば、解釈の幅はかなり狭い
人間関係は不確実だから不安
学生の実験は、パラダイムを飲み込むために行われる
反証可能性(ホパー)
仮説→法則
人間だけの社会に生きていると危ういのか?
僕らの脳はズレている(社会制度にマッチしていない)
人間とは違う秩序がある
養老孟司の参勤交代提案
都市生活
自然かどうかという基準
二足歩行ロボットのメリットは何?
僕らの身体にマッチしたものしか置かれていない
デザインドなものばかりrashita.icon
手狭なマンションだと棺桶が運べない、という話を思い出した
人間の話につかれたら、物理学・数学などが癒やされる
→何か似たことを書いた記憶があるrashita.icon
本を読むことは、ほとんど日常生活に密着していますが、それでもときどき、まったく読めなくなることがあります。小説を開いてもだめ、ライトノベルを開いてもだめ、実用書もビジネス書もまったくだめ。一行を追いかけることすら、できない。そんな状態です。
そんなときであっても、哲学書など「日常」とまったく無縁の、ただただ形而上学的な論理の探究を企てている本だと読めることがあります。
そして、そうした本を読んでいると、精神の何かが沈静(あるいは鎮痛)されている感覚が芽生えてきます。ヒーリングというのではなく、調律というのが近しい感覚です。
私たちは、──あるいは、少なくとも私は──、感情であったり実利に触れすぎていると、摩耗してしまう(あるいは惹起しすぎてしまう)何かを持っているのかもしれません。
高校三年生くらいのサイエンス理解があれば、理解できる本は多い
畑いじりではなく数式いじり
止まっているものへの安心感(人間社会とは隔絶された世界)
音楽は、人間と花鳥風月の間にある
芸術、に敷延できるかrashita.icon