心と思考を整える哲学ラジオ+第七回「オーソリティもガイドラインも無い現代をどう生きるか」
心と思考を整える哲学ラジオ+第七回「オーソリティもガイドラインも無い現代をどう生きるか」
普段高校生などに「自分の頭で考えなさい」と言いたくなる
先の見込みのない計算をしてしまう生徒がいる
「考える」のトレーニングがなされていないのではないか
反射(あるいはアルゴリズムやフローチャート)で解くことはできる
数こなして反射で解こうとする
「定番」(ガイドライン)で対処
→利他はそれでは難しい
rashita.icon「倫理」も同じことが言えるだろう。
考えて、その場その場で必要な対応をとる
臨機応変には、何も具体的な指示が含まれていない
ウィトゲンシュタイン曰く、
考えるという語は、他のあらゆる心理学的用語と同様に、日常言語の言葉であることを忘れてはならない。この言葉が単一の用法を持っていることを期待すべきではない。むしろ、単一の用法を持たないことを期待すべきなのである。
「考える」は教育できない(教えることができない)
考えるは孤独
私は信じる、という賭け(飛躍)が最後の最後に(あるいは最初の最初に)出てくる
「考える」は見様見まねできない
頭を使う行為の総合が「考える」と呼ばれる(一意ではない)
テレパシーの話
権威・オーソリティーがない時代でどう生きていけばいいか
昔は神話(大きな物語)があった。
合理非合理を超えて、すがることができるものがあった
近代はそれがない
近代の課題
自分は何を信じるべきなのか、という自由の重さ
自分を超える大きなものと繋がっている感覚
神・国家(共同体)・エトセトラ
思考も、個人の所有物である
→孤独
贈与も、つながりの回復の一手段
大きな物語=世界を説明する形式
不自由だが安心
「自分の頭で考える」が自由に行われると、ポスト・トゥルースや陰謀論が入り込んでくる
贈与やケア
rashita.icon「利他」「尊厳」みたいなキーワードもある。
勇気とケアの両輪