実践への興味
自分が興味を持っているのは徹頭徹尾「実践」であって、体系化などはそのための補助でしかない、ということに気がついた。だから、実践がうまく回っているなら体系に少々綻びが出ていようとも気にしない。というか、うまく回っている体系には、何かしら「収まらない」ものが含まれるのではないか。
もちろん、この「実践」には「生きる」も含まれている。あるいはそれが根源なのかもしれない。
そもそも矛盾を抱える人間が、無矛盾なシステムでうまくやっていけるという想定がどうにもうさんくさい。最悪なのは、無矛盾なシステムに合わせて人間をremakeしていくことだろう。