効率的に勉強することの功罪
「効率的」に勉強してるとああいう思想になるよな、という感じの話題を見かけた。
それは優生思想などといったたいそうなものですらなく、単に自分が認める価値以外の想像力が完全に枯渇しているだけの幼稚なものであった。効率化の行き着く先がそこに示されていたように思う。
最短で成果をあげようと思ったら倫理について考えている暇なんてないのだろう。
結局、そこにいる誰かというのは順番やタイミングの問題でしかなくて、効率の過剰な追求がもたらす帰結なのだ、ということなのだろう。
効率的 + 成功者 => 『実力も運のうち』
むろん炎上することをおりこんでの発言なんだろうけども、そこまで話題が必要なほど切迫しているようには見えないんだけどな。そういう「増幅するゲーム」にハマっているということなんだろうか。
それにしても、「自己啓発」なるものの醜悪さ、というよりもある種の幼稚さをはっきり露呈する出来事ではありましたね。
でもって、「個人の感想」という反論が、メルマガで書いた「と思う」ですべてを括っておく、というのとまったく同じでちょっとびっくりする。
「このノート術で、すべて思い通り」「面倒な人はこうかわせばいい」「考えれば考えるほど、いい決断はできなくなる」などの帯文、あの発言を受けると見え方が変わってきますね。
まあ、生の無意味さを引き受けた上でその価値を肯定できていないから、収入のようなパラメータを必至に獲得するしかないのだろうし、それを棄損してくる輩は堪え難いのだろうし、それを持たない人は絶対に肯定できない点はあるのだろう。
そういうのはエヴィデンスベースではたどり着けなくて、結局は文学的なものの領域だから。
自己啓発の闇、闇の自己啓発
たとえば専門的に深掘りせずざっと読み流しただけで知識マウンテンを築いている人がいるとして、その人には専門家がどれほど深い知識を有しているかを推測することはひどく難しい作業になるのだろう。
そういえば、小学生とかだと汚くて臭いものはすぐに嫌がるだろうし、自分のお小遣いが意図しない使われ方をしていたら怒るだろうから、ああいう捉え方ってもうそのままという感じがするな。
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文学的なものの欠落。