主語を小さくするゲーム
少し考えてみたのですが、「主語が大きい主張」をするのは単純に「楽だから」じゃないかと思いました。細かい条件を付けたり、場合分けをしたり、調査したりするのは面倒なものです。それに比べると、雑に一般化して主張する方がずっと楽。その結果「主語が大きい主張」が生まれるのではないでしょうか。
ところで「日本人」や「男性」や「女性」のような主語はいかにも大きそうですけれど、場合によっては「私」も大きな主語になることがあります。
同上
これが面白かった。
「主語が大きい主張」を見かけたときには、「主語が大きいぞ」と批判するだけではつまらないと感じます。思考ゲームとしては「その大きな主語はどこまで小さくできるだろうか」と考えるのが楽しそうだし有意義ですね。
同上。
これを「主語を小さくするゲーム」と名付けてみよう。
人間は、最初から適切なサイズの主語を使う(≒頭に思い浮かぶ)ことは少ない。
だいたいは大きくなってしまう。
なので、何か主張を思いついたり見かけたりしたら、「その主語をどこまで小さくできるか」を試しにやってみる。
「私は〜〜だ」というのなら、「元気のないときの私は〜〜だ」とする。
解像度が上がる。
こういうのは自己の対話なのだが、それよりも主語を小さくするゲームとして捉えた方が、なんだか楽しい。
2019/1/29 14:32
いつもありがとうございます。あれを書きながら思ったのは、必ずしも小さくするだけではないなということ。 「女性というものはうんぬん」というときに「それ、全人類に言えるんじゃね?」みたいな。
rashita.iconつまり、「主語のサイズを変えてみようゲーム」になる。
たぶん、いきなりこのゲームをスタートさせるよりも、まず「主語を小さくするゲーム」からスタートして、その次に(レベル2的に)このゲームに移行した方がよいかも。