ムンダネウム
1910年、オトレとラ・フォンテーヌは初めて「知識の都市」の構想を描いた。もともとオトレはその都市を「Palais Mondial」(世界宮殿)と命名しており、世界中の情報の中心的なリポジトリとして役立つだろうと考えていた。
世界書誌目録は着実に進展し、1927年にはインデックスカードが1300万枚にもなり、最終年の1934年には1500万枚以上に及んでいた。インデックスカードは特注のキャビネットに収められ国際十進分類法に従って索引付けされていた。コレクションは別の部屋に収められるファイル(手紙、報告書、新聞記事などを含む)や画像も含むようになり、これらの資料についてもインデックスカードによって目録が作られた。