ブックカタリストBC127用メモ
取り上げる本
『試験に出る哲学 「センター試験」で西洋思想に入門する』など
シリーズの紹介
構成
解説とインタビューのセット
『哲学史入門IV』の目次
序章 倫理学に入門するとは何をすることなのか(古田徹也)
第1章 現代に生きる功利主義―誰もが幸福な社会を目指して(児玉聡)
第2章 義務論から正義論へ―カントからロールズ、ヌスバウムまで(神島裕子)
第3章 徳倫理学の復興―善い生き方をいかに実現するか(立花幸司)
第4章 なぜケアの倫理が必要なのか―「土台」を問い直すダイナミックな思想(岡野八代)
特別章 「地べた」から倫理を考える(ブレイディみかこ)
序章 倫理学に入門するとは何をすることなのか(古田徹也)
古田徹也
『はじめてのウィトゲンシュタイン (NHKブックス 1266) 』
『このゲームにはゴールがない ひとの心の哲学』
『言葉なんていらない?: 私と世界のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)』
『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』
倫理学という分野について
哲学と倫理学の関係
政治哲学、法哲学、美学、宗教哲学、科学哲学、……
倫理学は哲学の大部分と関係がある。しかし哲学とイコールではない。
世界はなぜあるのか、などは問わない
道徳や倫理は、生活の中にすでにあるものだとして、倫理学に入門するとは何か?
倫理学についての議論の流れを学びはじめること?
倫理学に入門するとは、「人間とはどういう存在か」とか「人はなぜ生きるのか」といった問い、あるいは「自分とは何か」「他者とは何か」といった問いに向き合い始めることではないでしょうか。
人間(にんげん、じんかん)。個人と社会の両方を見る。
「個人」は反社会的だし、社会もまた個人を押しつぶそうとする(ことがある)
実際、倫理学をやるということは、抽象的すぎるかもしれませんけど、そういう矛盾した人間のあり方をつかまえることに精魂を傾ける営みだと思うんです。
社会→個人:政治哲学、法学、社会学、人類学……
個人→社会:小説や映画やドキュメンタリー
倫理学はこの両方にまたがる(あるいははざまに立って考える)
哲学は根本を問う。
そのために、一つの視点に安住せず、人間を多面的に捉えていく
筋金入りのアマチュアであること
だから、入り口はいろいろありえる
身近な話題、たまたま見知った言葉、哲学史……
そこから少しずつ広がっていく
いずれにせよ大事なのは、自分の見方が少しずつ変容していくような経験をすることなんじゃないかと。
自分の見方が揺さぶられる体験をすること。
一方で、生命倫理、動物倫理、AIと倫理などの応用倫理的なテーマは入門としてどうか?
制度設計やルールメイキングを最終目的とした議論になりがち。根本的な前提(善や悪、あるいは幸福についての考え)は背景に退きがち
それよりもふさわしいのは「自分たちが普段どう生きているかを記述し、捉え直そうとすること」なんじゃないか
自分にとっての「当たり前の言葉の不確かさ」に気がつく。そこから考えはじめる。
倫理学の内訳
規範倫理学、メタ倫理学、応用倫理学
規範倫理学
義務論、功利主義、徳倫理学
こうしたものとどう付き合うか?
〜〜主義で一貫した結論を出すという姿勢は倫理学というよりも、信条の選択
完結した領域としてではなく、全体の中で互いに関連し合う各パートとして捉える
知識をインプットして終わりではなく、各分野を「渡って」いく。
「ほんとうはわかっていなかった」
倫理学はなぜ必要か
解釈と批判を続けること
しつこく考える上で本は良いパートナー
本や長い論文は、読めば必ず"変な部分"が出てくる
第1章 現代に生きる功利主義―誰もが幸福な社会を目指して(児玉聡)
児玉聡
功利(utility)。制度などをその「効用」によって判断する
ジェレミー・ベンサム(最大多数の最大幸福):帰結主義(カントの動機主義との対比)、平等主義
ジョン・スチュアート・ミル:快楽の質を導入
直観主義への抗い
ムーア「そもそも善とは何か?」→メタ倫理学
快=善?(自然主義的誤謬)
非認知主義:「殺人は悪い」というのは「殺人、イヤだ!」と叫んでいるようなもの
A・J・エア、C・L・スティーヴンソン
道徳的主張が真偽の判断を持たない
リチャード・マーヴィン・ヘア(1919-2020)
「非認知主義は正しいが、道徳的判断には合理性を求めることができる」
普遍化可能性(カント的)と指令性
指令性:「この本面白いですよ」に含まれるもの
「〜〜すべき」という道徳的判断は、命題ではなく行動を指示する命令文
普遍的指令性→功利主義
二層理論
ピーター・シンガー
効果的利他主義とシリコンバレー
ウィリアム・マッカスキルの長期主義
第2章 義務論から正義論へ―カントからロールズ、ヌスバウムまで(神島裕子)
神島裕子
『正義とは何か-現代政治哲学の6つの視点 (中公新書 2505)』
『ポスト・ロールズの正義論:ポッゲ・セン・ヌスバウム』
翻訳『正義論』
カントの道徳法則
定言命法:普遍的立法の定式
君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ
帰結ではなく動機
→ロールズ
社会的の基本的な仕組みをどのような原理にもとづいてつくれば、公正と言えるのか
無知のヴェール、正義の二原理
反照的均衡
直観的な道徳判断と、正義の原理
→アマルティア・セン(経済学者)、マーサ・ヌスバウム(哲学者)
ロールズの「基本財」(権利、自由、所得、富)を公正に分配するという考え方の限界
ケイパビリティ・アプローチ
潜在能力(ケイパビリティ)の平等
読み書きができる、栄養がとれる、移動できる、健康でいられる、教育を受けられる、……生きるためのさまざまな能力
グローバルな正義
ロールズは、基本的に国内社会を前提としていた
→トマス・ポッゲ
地球資源税
センの考え方では、何が基本的なケイパビリティであるかは社会のなかで民主的な手続きを経て決めることになる
「正義」は原理だけで成り立つものではない。正義を支える市民が必要。
第3章 徳倫理学の復興―善い生き方をいかに実現するか(立花幸司)
立花幸司
『徳の教育と哲学ー理論から実践、そして応用までー』
翻訳『人間にとって善とは何か: 徳倫理学入門』
『ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫) 』
徳倫理学
徳(アレテー):物事が本来持っている優れた性質
人間が人間として善く生きるために必要な優れた性質
アリストテレスの倫理学
幸福(エウダイモニア)を達成するために必要な徳
知性的徳(理性)と倫理的徳()
倫理的徳:習慣によって形成される性格的な傾向、欲望や感情を適切に制御し、中庸を保つ能力
「どのような人間であるべきか」を考える(人そのものを見る)
イギリスの哲学者G ・E・M・アンスコム
『現代道徳哲学』1958年
功利主義やカントの義務論との違い
それらは善悪の基準を抽象的で普遍的な原理に求めるという共通点を持つ
「実際に人が生きている人生」という観点を取り戻す
フィリッパ・フット、アイリス・マードックなども。
スコットランドの哲学者アラスデア・マッキンタイア
『美徳なき時代』1981年
徳や共同体、実践の伝統にもとづいた倫理体系を再構築する必要があると主張
リベラリズムへの批判→コミュニタリズム
ロザリンド・ハーストハウス(ニュージランド)
『徳倫理学について』1999→より体系的な形で現代の徳倫理学を提示した
「ある行為が正しいのは、もし有徳な人がその状況にいるなら行うであろう、その人柄にふさわしい行為である時、またその場合に限る」
義務論や功利主義のようなトップダウンで「正しさ」を一律に決めることへの批判
循環してしまうが、ひとまずは社会で「善い」とされているものからスタートし、修正していく。
有徳に生きるためには、善い社会が必要
徳と教育(あるいは社会)
徳とは、個人に養われる性質そのもの。学びや体得のプロセスが不可欠
モラル・エンハンスメント(道徳的能力の強化)→応用倫理
プロセスは無視できるかどうか
つまり、徳とは単に得られた性質やそこで発揮されるパフォーマンスのことなのか。それとも、その性質をどうやって獲得したか、というプロセスも込みで徳と呼ぶのか。これが重要な問題です。
第4章 なぜケアの倫理が必要なのか―「土台」を問い直すダイナミックな思想(岡野八代)
岡野八代
『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想 (岩波新書 新赤版 2001)』
ケアの倫理
アメリカの心理学者キャロル・ギリガン『もうひとつの声で』(1982)
ギリガンの師であるローレンス・コールバーグの道徳性発達理論への批判
ハインツのジレンマ→普遍的な正義の原理にもとづいて判断できるかどうか
ギリガンは11歳の男女に質問してみた
(正義の倫理ではない)ケアの倫理→フェミニズムの思想の流れをくむ
ケアの倫理→修飾語なしのフェミニズム思想
既存の思想からフェミニズムを展開するのではない
女性たち自身の経験から、女性たち自身の言葉によって編み出された思想
フェミニズムの第一の波、第二の波
第二の波
個人的なことは政治的なこと(第二波で有名なスローガン)
マルクス主義フェミニズム
労働力の再生産が無償で行われている→搾取、世界からの疎外
ラディカル・フェミニズム→家父長制(社会や経済だけでなく人間の意識や無意識までも)
社会構造の中でこそ、個人が生み出されるという心理学的な観点(リベラル・フェミニズムが弱いところ)
→心理学者ジーン・ベイカー・ミラー(1927-2006)
支配従属関係のなかで生き延びるために磨かれてきた他者への共感や関係性維持
ミラーは精神科医でもあった。カウンセリング中での発見。
→デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』
ニュージーランド出身の哲学者アネット・ベイヤー(1929-2012)
ギリガンの「ケアの倫理」に強く共鳴
カント→人が義務を守れるようになるまでのケアや養育は?
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話』
ケアの倫理 VS 正義論?
ケアの倫理とは、不正義論
「いま実践しているケアがよいか悪いかを判断するために超越的な正義の尺度が必要」?
たいてい現場の人はちゃんとわかっている。
間違えることもあるが、「失敗する」という前提で考えればいい
→実践知(アリストテレス)として捉える
相手によって、状況によって判断が変わる
アメリカの哲学者ヴァージニア・ヘルド
ケアの倫理を政治的な問題に応用(国際関係やテロリズム)
義務論や功利主義をケアの倫理で置き換えるのではなく、「守備範囲」を見極めて、倫理の全体像を編み直すこと
政治(立法・行政)では功利主義、司法領域(義務論・正義論)、それ以外の領域ではケアの倫理
テロリズムとケア
アメリカのフェミニスト政治思想家ジョアン・トロント
ケアは親密な関係だけ?
もっとも一般的な意味において、ケアは人類的な活動であり、わたしたちがこの世界で、できるだけ善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる。世界とは、わたしたちの身体、わたしたち自身、そして環境のことであり、生命を維持するための複雑な網の目へと、わたしたちが編み込もうとする、あらゆるものを含んでいる。
『ケアするのは誰か?』
ケアの五つの段階
ニーズをしっかり見極めようと「関心を向けること」
存在していると気づいたニーズに対して、誰かが責任を引き受け、何かがなされないといけないと認識する「配慮すること」
特定のニーズは満たされないといけないため、誰かがその「ケアを提供すること」
初発のニーズがしっかり満たされた、すなわち、「ケアを受け取ること」で、ケアの受け手がケアに対する何らかの応答を示すこと。
それぞれの局面を「評価する」こと
オーストラリアの哲学者ロバート・グッディン
功利主義的な発想で、ケアを担う責任範囲を拡張させる
正義論の射程が狭過ぎる
不正義を不運として扱ってしまう
→ケアの倫理や修復的正義の考え方が必要
ケアがよいこととは限らない。孤立していると悪に陥りやすい。危うさもある。
→「悪に対する感受性」も必要
特別章 「地べた」から倫理を考える(ブレイディみかこ)
ブレイディみかこ
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
『他者の靴を履く──アナーキック・エンパシーのすすめ』
アナキズムと倫理
アナキズム→無政府主義者?
anarchism:「社会にほとんど、あるいはまったく正式な組織が存在せず、人々が自由に協力して働くべきだという政治的信念」
「混雑したバス停で、たとえそこに警察がいなくても、あなたは他人を肘で押しのけたりせずに、ちゃんと列に並んで順番を待ちますか?」
→内的なモラル
イギリスの託児所での仕事での経験:「助け合うことがアナキズムだ」
シンパシーとエンパシー
アウシュヴィッツツアーの赤いハイヒール
具体性を持ったイマジネーション
想像力を要する知的な行為
エンパシーと距離