フラットさと自他の境界
権利としての平等ではなく、自と他が同じだと思うこと。たとえば、物書き3年目の人間と、物書き10年目の人間の「できること」が同じだと思ってしまうこと。敷衍すれば、能力の差を無視して、期待しうる成果を同一視してしまうこと。
逆に言えば、それは自己理解が薄いということ。自他の差異がぼやけているから、自分についてよくわかっていない状況になる。暗中模索。 #やるおわ のデルタ状の実践。小さなことからスタートするというのは、単にノウハウを少しずつ身につけていく、ということに留まらない。それは、ある実践を通して、自己理解を深める、ということ。机上の自己像ではなく、リアルな現象としての自分に触れる。そこから始めること。 たとえ少しずつであっても、いろいろなことに一気に手をつけようとすれば、その把握が遠ざかる。デルタ的差異を見極められず、何がなんやら、という状況になる。その状況を打破するために、いろいろなことに一気にをつけようとすると、以下繰り返し