フェイクニュースの円環の理|ほりまさたけ|note
こうなると、両陣営のあいだには分断を解決するための論理的なとっかかりがなにもなくなってしまいます。意見の違いがあるのはあたりまえとして、それを解決するために足がかりにできる論理的な土台が消えてしまうのです。
現実というものの脱構築的循環
そもそも、社会は「虚構」なのである。言説も同様。
自然状態では、虚構が平常状態。
そこに努力して、議論のための「事実」が築かれてきた。
その努力が解体されつつある
しかしこうした論理の分解や、争点の明確化、フェアな戦いのためのルール作りをすべて無視して、保守メディアだけでなくリベラル側のメディアのこの事件の取り扱いも過激化している状況になっています。
ここにかかるコストは、誰が負担するのか。
仮にそれを「民主的」に投票したときに、過半数の合意は得られるのか
市場によって、そのコストは調達できるのか